オレには名前がなかった。
理由は簡単、捨て子だったからだ。 薄汚い道路の人目につかない場所に、ところどころカビた箱の中で毛布に包まれて捨てられてたそうだ。 物心着いたころ、オレを拾ってくれた初老の神父が悲しい表情を浮かべて話してくれた。が、大してショックは受けなかった。そうだったのならそれが紛れもねェ事実なんだと、ガキなりに受け入れてた。こんなにも冷めたガキは他にいねェだろうと自分で嘲笑してらぐれェだからな。 そうだ、オレには分かってたんだ。コノ世界がどんなに不条理で、くだらねェのかを。 それを完全に理解したのが、オレが教会の孤児院に入れられて八年経った時。つまりオレが八歳の時、軍人に教会を焼かれた。夜を赤く染めながら身を焦がし輝き続ける教会は、オレがその日まで見てきたモノのどんなものよりもキレイだった。その炎の処刑場で、教会の神父、牧師、シスターなどの大人達は全員並べられて頭を撃ち抜かれて死んだ。火の粉のように脳漿をぶちまけて空を彩り、崩れた教会に潰されて跡形も無く消えた。バカな聖職者が、死ぬ最後の瞬間まで神に祈り続け震えながら「子供たちだけは助けてください」と懇願している姿は滑稽としか思えなかった。 だってよ、生き残ったのは神を信じなかった孤児達だけだったんだぜ? 思ったよ。あァ、コノ世界に神なんて後生大事な信仰対象なんていねェってな。 名前を貰った教会を殺されて、オレ達――孤児は軍人に連れられて長い時間アスファルトを歩いた。足の皮がむけて、何度も激痛が襲った。やがて痛みの感覚が麻痺してきたころ、それが見えた。 真っ黒な壁に囲まれた、真っ白な建物。 結局オレ達は受け入れることしか出来なくて。監獄に収容されたソノ時から地獄ってのを毎日のように体感した。気が狂うほどの投薬をされ、様々な痛みを与えられ五感が狂いそうになり、最後にはお互いを切り刻む死闘を強制され理性が狂いそうになった。 たくさん涙を流して、たくさん血を流して、たくさん命を奪って、たくさん未来を奪って、たくさん感情を失って、たくさん夢を失って、 最後はオレ一人になった。 孤独を感じたオレは、血と肉に塗れて、笑っていたのをよく覚えている。 そして、腐った大人達に認められたその日。オレは新しい名前を貰った。 『AP09』という型番号を。 その名前を与えられた場所も、焼かれた。最終的にオレが行き着いたのは、地球連合軍アジア連邦所属第十三独立部隊という長ったらしい枠の中だった。そこで十年間、徹底的に殺し≠覚えさせられた。 そしてその十年間で、何十人も殺した。いや、百だったか? ……とにかく数え切れないほどの人間を殺した。化け物も殺した。建造物も破壊した。 オレは殺し≠ノ慣れてしまった。今更通常に戻ることなんてできねェ。 オレの居場所は、ココしかない。 「抵抗なんてガキッぽいことしかできねぇ軟弱モンはマトメて天に召されやがれッ!!」 『融在』で甲質化した巨腕を地面スレスレに横薙ぎにし、必死こいて銃を撃ってた奴ら全員を一掃した。ぶち当たった奴は悲鳴と血を同時に吐き出してブッ倒れた。……あれ、死んだか? どうも最近は加減が上手くできないくて、手当たり次第にヤっちまう。絵的に表現できない死体を眺めながら頭を掻いていると、重い静かな声がオレを呼んだ。 「勘違いするな、AP09。命令は制圧であって皆殺しではない。抵抗する奴だけ殺せばいい」 この男――霧影弘蔵は、顔に無数の小さい傷跡が特徴の、褐色の髪をしたゴッツイおっさんだ。この独立部隊の隊長さんで、それに相応しい威厳っつーのを持ってる。……コイツだけは苦手だ。 「別にいいだろうが隊長さんよォ。ムダ弾使わなくて制圧できるだろーが」 「そんな心配はしておらん。被験体の確保も任務の内だ。死体は増やすな」 「……ハイハイ」 オレは渋々頷いた。 この世にはエミュダスっつーバケモンがいる。生物が突然変異したモンで、残ってる理性は『食べること』。軍はその凶暴性を利用しようと、生きたままの人間をエミュダス化させる実験に取り組んでいた。だから材料となる人間がたくさん欲しいんだと。 人為的にバケモンを生み出す実験、気持ちワリィ。あぁ、オレもそういう類の実験の結果だからそんな変わんネェか。 やがて青い閃光弾が夕焼けを青く染め上げた。制圧完了の合図に、オレは拍子抜けした。武器を持った人間達は誰もオレを傷つけることができなかった。勝利、じゃない。こんなものは勝負じゃねェ。こんなものは、殺し合いじゃねェんだ。 憂鬱でかったるい気分のまま、オレは生け捕りした人間を五人程度片片腕にぶらさげて、部隊のキャンプへと帰還した。 独立部隊に帰る家はない。その場その場で本部から命令を受けて、全て現地調達で行動する。傭兵部隊だなと、いつも思う。ってなわけで、制圧した地域からそんなに離れてない場所でテントを広げて本部の到着を待っていた。 その辺から突き出ていた岩に腰掛け、ガラにもなく月を眺めていると、部隊の連中がヒソヒソと話す声が聞こえてきた。「あのガキ、一人で二十人殺したんだってよ」「うわっ、それはヤベェな。悪魔だ悪魔」「やっぱバケモノは違うな」「AP09から見りゃ、何人殺そうと変わりないからな」「シッ! 聴こえてたらどうするんだ!? 今度は俺達が殺されるぞ!」 ハイおめでとう。バッチリ聴こえてるっての。APは感覚が特化されてっから地獄耳なんだよ。それに、お前らみたいな小者、殺したとこで意味もねェ。殺す価値もない奴らが思い上がってンじゃねェよ。オレは、バケモンと殺り合いてェんだ。オレを……殺れるほどに強いバケモンとな。 「貴様に月を眺めるという思考があったとは驚きだな、AP09」 突然声をかけられて、驚きなのはこっちだぜアホ隊長。 「ッせェ。目に映ったから見てただけだっつの」 短いやり取りの後、霧影がオレの隣に腰掛けた。 「そーゆーテメェも月なんか見るんだな、隊長さんよォ」 「自然こそ、我らが生まれ出る古来より存在したもの。故に……美しいのだ」 ……ハ? 何言ってやがんだコイツ。電波系? 「理解できないか? つまり、後から形を持って生まれた我々人類は全て醜いということだ」 霧影の目は少しも笑っちゃいない。本当に醜いと思っているんだろうな。もちろん自分のことも。 そう、オレは霧影の自分を愛さないところに感慨したんだ。そういうところは、オレに似てるからな。 「貴様が生け捕りした人間は、先程本部からの使いが連れていった。本部は貴様を評価する代わりに、土産を置いていった。後で確認しておけ」 「……どうりで、さっきから頭がムズ痒いと思ったら、そーゆーことかよ」 「それと、新たな任務だ」 仕事が終わったと思ったら、これだぜ。 「今度は何だよ? 制圧か? それとも害虫駆除?」 「土産を使ってエミュダスの収集、だそうだ」 「ツマリ、それはオレだけに科せられた任務ってワケかよ。アァ!?」 「そういうことだ。失敗は許されんぞ。AP09」 理不尽だぜ、全く。……だがしょうがねェ。これはバケモンであるオレにしか出来ねェんだからな。 「タリィことさせんなよ……。まっ、バケモンはバケモンと戯れてますよーっと」 「――それで良い。我々は制圧した地域の統制を行う。日が二度昇ったら帰還しろ。貴様はそれまで自由行動だ」 自由って言っても、どうせ首輪≠フせいで逃げることはできないがな。「リョーカイ」とテキトーに返事をして岩から降りる。そして、さっきからオレの頭の中を犯してくる元凶の元へ歩く。キャンプから少し離れた所。 そこに鋼鉄の檻があった。 そこから発せられる醜悪な臭いと汚れた気配が、周囲に死気溢れる空間を孕ませている。檻の中からは、荒れた呼吸音ともがき蠢く音が響いている。ネチネチしてて、オレは嫌いだ。 「さて、……今回のは活きが良さそうだな」 オレはそう言って、一気に檻をブッ壊した! 壊れた勢いで中身が一気に外に押し寄せてくる。ドロリとした紫色の物体が飛び出して、地面に流れ落ちていく。ソレは次第に形を成し、狼が崩れたような物になった。 これが軍によって開発された、試作型エミュダスだ。つっても、ただの腐肉と骨の固まりだがな。これで生きてるって言えんだから、世の中っつーのはいい加減だ。ただの生物兵器だ。コレも、オレも。 オレはエミュダスの核と思われる頭に手を置いて(感触が気持ちワリィ)命じた。 「信号確認、波長へ干渉。……同調確認。シグナルグリーン。……オレに従え!」 脳波を同調させ、エミュダスの擬似神経に割り込んで制御する。これがオレの能力「融在」の本領だった。命令されたエミュダスは痺れを切らしたように、月に向かって咆哮した。 「いくぞ、バケモン探しに」 オレは微弱な反応を頼りに行動を開始した。傍らには腐った狼。目的はコレと同じようなものの捕獲。でもな、捕獲っても穏やかなものじゃない。時には殺し合いになる。その時は……殺すしかないだろう。胸クソワリィ。 ……同族嫌悪ってのはこういうことを言うんだろうな。 制圧を完了した地域から日が昇るまで歩いてたら、急に視界に緑のカーテンが見えた。デケェ密林だ。この腐った時代には珍しいほど、整えられていやがる。しかも、森に近づくたびに頭ン中の疼きが強くなってきやがった。 どうやら、生きの良いエミュダスがいるようだ。同族を喰らいつくして行く当てもなくなった放浪か。獲物を待ち潜んでいる狩人か。 周囲を探るように森に入ると、傍らの腐った狼が唸り始めた。どうやら反応しているらしい。獲物は、すぐ近くか。 「じゃ、ヤるか」 オレは傍らの狼の頭らしき場所に手を突っ込んだ。そして、巻いて引き寄せる。エミュダスの核となる擬似心臓を『融在』で取り込み、己が肉体の一部とする。強制的な心身契約。 腕と溶け合ったエミュダスを硬質化させて、巨大な腕を作る。また、密度が上がったのか今まで以上の硬度を感じた。 頭ン中の疼きを頼りに、エミュダスの気配を探る。そう遠くない、近く。視界にはいない。上空、いない。だが……気配を感じられる。となると、 「ハッ! ここかッ!」 大地を抉るように巨大な爪を食い込ませ、巻き上げた。すると黒い影が地中から飛び出してきた。叩きつけられるように着地したそれは、ヘビのエミュダスだった。ただし、人の体を軽々と飲み込みそうなほど巨大な、だが。 「……趣味ワリィぜ、ったくよォ」 だが、地中に潜れるコイツの能力は使えッかもしんねェなあ。……どーすっか。 『融在』って能力はただエミュダスを取り込んで変化させるだけじゃねェぞ。その生物が元々持っていた性質を残したままオレの身体の一部にできる。例えば飛行できるエミュダスを取り込んだらオレの背中に羽広げて飛ぶこともできるだろうし、水ン中で息できるエミュダス取り込めば水陸両用のオレが出来上がるってワケよ。ただ軍の作った人工型はいくら取り込もうが性質を引き継げねェ。元は人間だかンな。 「ケッテー。お前オレん物になれ!」 宣言し、硬質化した腕を振るう。ヘビは危険を察知したのか、身を鞭のように撓らせて反撃してきやがった。 異能と異能がぶつかり合う。 が、アッサリ吹き飛ばされたのはオレの方だった。 予想してなかった、オレが力負けするなんてよ。背中に湧き出したエミュダスの血を硬質化して衝撃は防いだが、それよりも力負けしたのがとてつもねェほど腹が立った。 「ゴミ虫のブンザイで、なかなかヤんじゃねェかよ。ますます気に入ったぜ!」 だが足りねェ。そんなんじゃまだまだオレは殺せねェ! 全身から異能を噴出し、オレはオレでなくなる。全身を、硬質化した鎧で素肌を全て覆い隠した。オレは人間の形なんかしちゃいねェ。ホンモノのバケモンだ。 オレの姿に臆したのか、ヘビは一瞬動きを止めた。明らかに迷っている。どうやらバケモンにも生存思考が残ってるらしい。死を恐れるのは、どんなモノでも共通の理念ってコトか。 ここでオレに殺されるか。バケモンとして野垂れ生くか。選択を迫られる。オレも人事じゃねェが。 だがエミュダスってのは哀れな生きモンで、最後には全て食欲に書き換えられる。 ヘビは人間を十人ぐらい飲み込む大口でオレに襲い掛かった! 「ワリィがなァ、オレはメインディッシュは最後まで取っとくほうだぜ!」 バクリと、 オレは呆気無く喰われてやった。こっちのほうが仕事早ェし。思ってたよりも胃袋ん中は空っぽに近い。しばらくは何も喰ってなかったんだろうな。ッと、胃液が溜まり始めたからさっさとヤりますか。胃液対策で全身硬質化してっけど、いつまでもつかワカンネェし。 オレは先程取り込んだ狼エミュダスの核を右手から発射した。軍が作った人工エミュダスは他のエミュダスを喰らうことで形を成していく。ここまで大型のエミュダスだとオレも取り込むのは苦労スッからよ。内側から核に食わせンだ。 侵蝕が始まった。核は縦横無尽に体内を駆け回り、肉を喰い散らしていく。突如胃袋がうねり始めた。異物を吐き出そうとしているらしい、が。そうはオレがおろさねぇ!! 全身を針のように伸ばして、体内を串刺しにした。気味の悪い絶叫が内部で反響する。おぞましい、鼓膜が毒されるような、そんな音。ドシンという巨体が地を打つ音と、振動が伝わってきた。絶命したか、あっけねぇ。 針を戻すと、所々から陽が射した。よく見えるようになったコイツの体内は、喰い散らかされた肉や骨、ぶちまけられた血が、醜悪な光景と共に腐った臭いを放っていやがる。常人なら一呼吸で肺が汚染されて狂い死ぬだろうなァ。ハハハ、オレはバケモンだから平気だけどよ。この任務をやらされるたびに、思っちまうンだよ。 オレは、やっぱりバケモンなんだってな。 任務を与えられてから二度目の日が昇ると同時に、オレは満腹になった狼をつれてキャンプに帰還した。 「ご苦労だったAP09。何か成果はあったか」 早速見たくもなかった霧影の顔を見て気が滅入ったオレ。ガンバ。 「……アァ、土ン中潜れるエミュダス喰ってきた」 瞬間鉄拳がオレの頭に叩き込まれた。 「――いってぇええええエエエエエエエエエメェエエエエエエエなにスんだコラァアアアアアアアアア!?」 悲鳴と怒号が混じったバカみたいな声を出しちまった。クソが。 「任務は捕獲≠セと言っただろうAP09。誰が喰えと言った。貴様はアレか、言葉も理解できん低脳なのか。ますます使い道が減ったな貴様は」 ……チクショウこうなるとは分かってたとは言え、ムカツク。ブッ殺してやりてェ。 だが霧影はそれ以上オレを責めるワケでもなく、 ――ニヤリと、笑った。 「ハァ? ……ナニ笑ってんだよ気持ちワリィな」 「いやいや、今回ばかりは貴様の勝手な行動も良い結果になったということだ。貴重な潜入能力を、『上』の連中のくだらないお遊戯に使われるのを回避できたのだからな」 「……まさかぁ、また任務とかオッシャイますか隊長殿」 「我々にとって最重要任務だAP09。ついに奴に会えるぞ」 霧影はオレの予想に答えるように奴の型番号を告げた。 「AP01の居場所が判明した」 「――ンだと!? それマジかよ!?」 やっと、牙に会えンのか! オレを、楽しませてくれる唯一の存在に! 「場所は、……平凡な田舎村だ。ただ崖に面した森に創られた村でな。潜入は崖を登るか正面から突っ込むかだが。なるべく迅速に回収するために今まで通り、奇襲を行う。私と貴様は、潜入だ。貴様が喰ったエミュダスの能力を使ってな。……ククク、どうやら醜い自然すらも我々を味方しているようだ。やはり自然は、素晴らしい」 「酔うのは勝手だがよ、モチロンAP01の相手はヤらせてくれんだろうな!?」 「そう興奮するな。バケモノにはバケモノを。それが独立部隊の暗黙のルールだろう。それに私は、裏切り者を始末しなければならん」 「……裏切りモン? AP01を連れて逃げたっていう奴か。そいつは隊長殿の何なんだよ? そんな――」 ――そんならしくねェ顔しちまってよ。 「そうだな、私には似合わない言葉かもしれんが」 霧影は懐かしむように、確かに似合わない言葉を口にした。 「共に夢を追った仲間だった」 生物は全て醜いと、月を仰ぎながら言っていた霧影。 意外すぎて、オレは無意識に―― 「ク、ハッ、ハハハハハハハハッ! ……笑えねェ、笑えねェよ隊長殿ォ!」 なんでかオレは涙を流していた。笑い泣きってやつだなァきっと。忌々しい……。 仲間。その響きが、あの空間では最強だったことを思い出しちまった。 再び鉄拳を喰らったオレは、霧影の報告を受けて再び新たな鉄の檻の前にいる。どうやら先日オレが捕獲した人間どもの成れの果てがこの中にいるらしい。 今度はコイツらと、そしてすでにオレの一部になった狼と、いろんな『生命』を繋ぎ合わせた名前のないオレが。 AP09が、AP01を狩りに行く。 身体が震えた。体中から溢れ出る歓喜を抑えることができない。ずっと待ち望んでいた、オレの唯一の生存理念! 「待ってやがれよ、『 これは異能の力を持った彼らが再会する、ほんの少し前のお話。 |