01話<Virtual and Reality>

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「くそっ!」
 ルートタウンに強制転送された瞬間、俺はH(ヘッド・)M(マウント・)D(ディスプレイ)を床に叩きつけた。ソロプレイの俺は回復してくれる仲間がいないから、自分が死んだらルートタウンに強制転送されてしまうのだ。
 短く呼吸を繰り返すうちに、怒りで煮えたぎっていた脳みそは冷え、いつもの冷静さを取り戻してきた。
 深く息を吐いて壁掛け時計を見ると、秒針は深夜の一時を回っていた。家族はとっくに寝ている。今この家で起きているのは、俺とパソコンだけだ。HMDを叩きつけた音で誰かが起きてしまったかもしれないが、俺には関係のないことだ。
 ここ半年、家族とはまともに会話をしていない。学校を出ると、まっすぐ自宅に向かい、まっすぐ自分の部屋に向かい、パソコンを立ち上げるのが習慣になりつつある。
『The World』が俺の唯一の楽しみだった。

『The World R:2(リビジョン)』は、C C(サイバーコネクト)社が二年前に発売した、全世界対応のオンラインゲームだ。前作の『The World R:1』は2015年に起きたC C J(サイバーコネクトジャパン)社の大火災により、データの大半を喪失し、サーバーが使える状態でなくなったため、サービス停止が決定された。更にCC社は、その大火災によって多くの死者と負傷者を出した。
 CC社は解散の危機に(おちい)ったが、なんとその時期に、別ラインで開発中だったゲームをベースに再構築した『The World R:2』を発表。そして発売に至った。アナリスト達には「どうせ不評のまま終わる」と言われていた『The World R:2』は、全世界で千二百万人ものユーザーを持つほどの大ヒットを記録した。だが運営当初はバグが多く、R:1からのPC引継ぎも出来なかったため、多くの古参(こさん)のプレイヤーは『The World』から離れていった。『The World R:1』の二千万人に比べると会員は激減したが、それでも大ヒットしたのはCC社の底力があったからと言えよう。
 そして、俺もその千二百万人の内の一人というわけだ。

 ネットゲームなんて、ただの時間の無駄になるだけだと思っていた。FMDを通してみる景色はただの繊細なグラフィックだし、『The World』に存在するものは全て二進数のデータの(かたまり)だ。と、バカにしていたが、実際ゲームをプレイしてみるとそうでもなかった。
 楽しかった。俺が存在している現実より。
 仮想と現実。ただ世界が違うだけで、俺が暮らしている世界となんら変わりなかった。大きな街がある。多くの人がいる。広大な空がある。地平線に続く草原がある。
 そして、人々には様々な役割(ロール)がある。
 普通にゲームをプレイする者もいれば、ゲーム内でいろいろな役割(ロール)を果たす人がいる。情報屋、商人、収集家、殺し屋、正義、悪。ユーザーは、PCを設定してそれぞれの役割(ロール)を楽しんでいるのだ。だからこそ、そこにいるPCは本当にそのユーザーの分身とはいえない。

 大袈裟(おおげさ)に言えば、『The World』は第二の人生を提供する舞台だ。

 そして、今の俺には『The World』はなくてはならないものになった。半永久的にやり直しの利く 『The World(こ の 世 界)』での俺の役割。
 それは喪失者(そうしつしゃ)だ。
 初めから何もかも失った人間を役割(ロール)している。次第にそれはエスカレートし、他人をも喪失させるまでに至った。それがプレイヤーキラー。通称PKと呼ばれる行為である。それは現実世界の殺人と変わりない行為だ。しかし、『The World』でPKを裁く者はいない。だが、そういうことを取り締まろうとするギルドもある。例えば【つき()】だ。あんな安っぽい正義を語るウザッたい偽善者(ぎぜんしゃ)集団(しゅうだん)なんて、相手にするだけ時間の無駄だが。PKはCC社が公認している『The World』のシステムなのだ。それを(おこな)って何が悪い。
 ……話がそれたな。とにかく俺は相手PCをPKをすることで、そいつがログインしてから費やした時間、入手したアイテム、(かせ)いだ経験値を喪失させることに喜びを覚えた。極度のサディストだな、と自分を嘲笑する時さえもある。
 喪失者(ロスト)――これが俺のPCの名だ。今では血霧花(ちぎりばな)≠ニいう二つ名で恐れられている、……自慢じゃないが有名なPKだ。しかし、今まで他人を傷つけることで積み重ねてきた自尊心、プライドは数分前に(もろ)くも崩れ落ちた。
 死の恐怖 ̄KKのハセヲにキルされたという事実が俺を締め付けていた。

 パソコンをシャットダウンし、部屋の電気を消して制服のままベッドに寝転がった。……静寂が続いても、なかなか寝付けなかった。
 俺はハセヲにキルされる瞬間に死の恐怖≠感じてしまった。俺は、死ぬことが恐ろしいと思ってしまった自分が許せなかった。喪失者は恐怖を感じてはいけなかった。無意識に、何かを得てしまってはいけなかったのだ。
 ……考えている間に睡魔が襲ってきた。だんだん考えるのも面倒になったので、俺はそのまま眠りについた。


 目覚めると、家は静かだった。時計を見て納得した。すでに午前十一時半過ぎだった。両親はとっくに仕事に出ていっただろう。ちなみに、学校に何の楽しみも見出(みいだ)せなくなった俺は、最近ずっと不登校気味だ。だから今日もこのままサボってしまおうかと思ったが、不本意だが学校に行く急ぎの用が出来てしまった。
 俺を『The World』に誘ったアイツに、会いにいかなくてはならない。
 制服のまま寝ていたので、着替えずに部屋を後にした。


 手ぶらのまま学校へと向かう。勉強なんてする気はないから、持っていくべき教科書など必要ない。俺は、我が家から徒歩十分の位置にある平凡(へいぼん)偏差値(へんさち)の学校に通っている。格別頭がいいわけでも、最悪に頭が悪いわけでもなく。ただ家から近いという理由だけで選んだ学校だ。特にこだわりもなかった。だから飽きてしまったのかもな。
 ボンヤリしながら歩いていたら、あっという間に学校へ着いた。門、下駄箱、廊下、階段、廊下。まだ授業中だから、当然誰とも会わなかった。教室の前を通るたび、教師による教科書どおりの長々しい理論の熱弁が聞こえる。生徒はどんな顔をして聞いているだろう。
 自分のH R(ホームルーム)の前に来た。一体自分は何回このドアをくぐったのだろうと思い返してみる。思ってた以上に少なかったので、苦笑したままドアを開けた。同時に午前授業の終了、十二時を告げるチャイムが鳴り響いた。HRにいたクラスメイトの何人かはこちらを見たが、すぐに顔を()らした。俺みたいな不良に()(この)んで関わろうとするやつなんていないだろう。
 だが、一人だけ俺に向かってくる男がいた。三枝(さえぐさ)劉治(りゅうじ)という、戦国時代にでも居そうな名前を持つ優男だ。こいつは、俺を『The World』に誘った張本人でもある。
「社長出勤お疲れ様」
 一切(かげ)りのない笑顔で劉治は言った。
「ちげぇよ。起きたら十一時半だっただけだ」
「……また夜遅くまで『The World』をやってたのかい?」
「聞くまでもないだろ。でだ。お前に頼みたいことがある」
「おや、頼み事なんて珍しいね。とりあえず昼飯でも食べながら話さないかい?」
 劉治と俺の席は隣り合わせだ。女子が少ない学校なので、自然と男子が隣り合わせになる。劉治は席に戻るとカバンから弁当箱とパン一個を取り出して、パンを俺に投げてきた。俺はそれをキャッチすると、微笑んでる劉治の顔を見た。
「どうせ朝も食べてないんでしょ? それあげるよ」
「あぁ、わりぃな」
 席に着き、パンを口に運んだ。食ってみたらクリームパンだった。
「……それで、頼み事って?」
 あまり話したくはないが、これを言わなければ(はなし)にならない。俺は重苦(おもぐる)しく口を開いた。

「――昨夜、ハセヲにキルされた」

 劉治は俺の言葉を静かに受け止め、それでも瞬き一つしなかった。
「……そうか。残酷で名高い血霧花≠熈死の恐怖≠ノは勝てなかったんだね」
 大して驚きもしていない口調で、劉治は言った。
「おい、ちょっと声量を落とせ。俺が血霧花≠チて知られたら面倒だ」
 このHRには『The World R:2』をやっている者が何人かいるだろう。もしかしたら、俺にキルされた奴がいるかもしれない。だから無用心に血霧花≠フ名前を出すわけにはいかない。
「おっと、そうだったね。ごめんよ。それで、どれぐらい戦っていたんだい?」
「三十分。レベルもステータスも、ほぼ同じだった。違いがあったとすれば、同じ錬装士(マルチウェポン)であっても、俺は2ndフォーム、ハセヲは3rdフォームということだけだった」
「それでも、負けたんだよね。フォームの段階、っていうことは武器の数に負けたのかな?」
 錬装士はジョブエクステンドするごとに、使える武器が増えていく。キャラエディットの段階で、使っていく武器を選択するのだ。俺は斬刀士(ブレイド)の使う古刀をメインに使っていた。
「いや、武器の数は大した問題じゃない。いくら多くの武器を使える錬装士でも、使用する武器の習熟度(しゅうじゅくど)が高くなければ意味がないからな」
「多くの武器を使えても、個々の武器の習熟度を上げるのに時間が掛かる上、なかなか極められなくてアーツを覚えられないから。錬装士が弱いって言われてるのはそこだよね」
 アーツとは、職業で覚える戦闘用のスキルだ。武器の習熟度が上がると、使えるアーツがどんどん増えていき、戦闘をスムーズに行えるようになる。錬装士は全ての職業の武器を使えるから、覚えるアーツの数は相当な量になる。
「俺はいつものエリアで人狩り(P K)を楽しんでいた。不意打ちで無理やりバトルを開始させてバトルエリアを展開、カモが逃げられないようにした。俺は獲物を前に舌なめずりをしながら、じっくりPKを楽しむつもりだった。だが――」
「そこにハセヲがやってきたわけだ」
 俺の言葉を読んで、劉治は先に言った。俺はそれに無言で頷く。
「乱入してきた瞬間にハセヲは大剣を俺の頭上に叩き落としてきた。俺はそれを回避すると、すぐに反撃しようと古刀を構えた。が、流れる動作でハセヲは叩きつけた場所を軸に回転。大剣の風車が俺を襲った。防御破壊(ガードブレイク)された俺はバトルエリアの壁まで吹っ飛ばされた。強制復帰するころには、ハセヲは瞬時に双剣に装備を変更して、構えていた。俺は装備を変更する暇がなかった。双剣の上級クラスのアーツを放ったハセヲは、そのまま連続的に攻撃を繰り出してきた。ガードをしても、俺のH P(ヒットポイント)は半分も削られた。凄まじい猛攻だった」
「それで、そのままやられたのかい?」
「んなわけあるか。こっちも即行(そっこう)で上級アーツを繰り出してダウンさせたさ。その間に回復。お互い、それの繰り返しだった」
 一気に話したので、軽く息を整えた。ここからが屈辱(くつじょく)の回想だ。
「ハセヲに隙が出来たのは、それを十回ほど繰り返したときだった。俺は、またとないチャンスをモノにしたかった。すぐさま上級アーツを放ったさ。……でもな、それはハセヲの陽動(ようどう)だったんだ。向こうがリーチの短い双剣だったから、油断してたのかもしれないな。だから避けられなかった。俺のアーツ発動と同時に、ハセヲは双剣から大鎌に装備を変更して、上級アーツを放った。リーチの違いで、先にアーツを放った俺が吹っ飛ばれた。そして、大鎌を首に当てられてジ・エンドさ」
「そのまま斬首刑(ざんしゅけい)か。(むご)い殺され方を経験したね」
「『The World』では首は飛ばないし、血のエフェクトも出ない。酷いも何もないさ。それで、ハセヲは俺を殺す前に気になることを言った。『お前も、あの情報屋も使えねぇな』ってな」
「なるほど。事情は大体分かったよ。僕に、君の情報をハセヲに売った情報屋を探せっていうんだろう?」
「そうだ。情報統括者(フロウウォッチャー)のお前なら、そんなこと簡単だろ」
「……少し時間は掛かるけど、最近ハセヲに接触した情報屋を探してみるよ。無償(タダ)でね。それとアフターサービスで、君がハセヲにキルされたっていう情報が流れたら、僕の所で潰しておくね」
「……感謝する。それとお前、三爪痕(トライエッジ)って知ってるか?」
 半日前にハセヲに言われたセリフを、まさか俺自身が言うことになるとはな。
「あぁ。それなら結構噂になってるよ。半分以上がただのガセネタだろうから、こっちでは扱ってないけどね。三爪痕のことが知りたいなら、よもやまBBSの『The World』板かうわさ板を見てみるといいよ。やっぱり半分以上が都市伝説や怪談話で笑っちゃうけどね」
 劉治はクスッとバカにするように笑った。劉治がそんな風に笑うということは、本当にくだらない話ばかりなのだろう。
「よもやまBBSだな。それは見てみるよ。だけどお前に調べてもらうのは三爪痕のことじゃない。なぜハセヲが三爪痕に(こだわ)っているかだ」
「なるほど……、興味ある話だね。死の恐怖≠ェただの噂話を信じているわけでもなさそうだし……。ふふ、喜んで引き受けるよ」
「お前ならそう言ってくれると思ってたよ」
 話が終わるころには、貰ったパンを食べ終えていた。クリームの甘さが口内に残り、嫌な顔をしていたら、無言でお茶を差し出された。俺もまた無言で受け取る。
「それで今日はどうするの?」
「どうするって、なにが?」
 劉治は呆れながら「午後の授業。もうちょっとで始まるよ」
「あぁ」俺は失笑した。「サボる。っていうかもう帰るぜ。今日はお前に会いに来ただけだからな」
「嬉しいね、まったくもう。……単位はどうするのさ。そろそろ真面目に授業受けないと、下手したら留年だよ?」
 キッパリとキツイことを言ってくれる。だが、事実だから何も言い返せない。
「今度来たときはちゃんと受けるよ」
 嘘だが。
「絶対だからね。君を心配してる僕のことも少しは考えてよ」
「分かってる。でも今はやらなくちゃいけないことがある」
「……君を『The World』に誘ったのは間違いだったのかな」
「今更だな。俺は感謝してるぜ」
「そうか。……それじゃあ帰ったらすぐにインして情報を()んでみる」
「頼りにしてるよ。ただ一人の俺の友人として」
「任せてよ。ただ一人の君の友人として」
 短く笑い合うと、身を翻してドアへと向かう。その時ふと思い出したことがあった。
「そうだ。劉治」
「なんだい?」
 俺はドアをくぐり、廊下に出てから言った。
「早く携帯買えよ。じゃないと今日みたいにわざわざ学校まで来なくちゃいけないからな」
 劉治の返事を聞く前に、俺はドアを閉めた。


 帰宅後、すぐにパソコンを立ち上げた。ALTIMIT(アルティメット) MINE(メイン)OS(オーエス)の起動画面を見つめながら、俺は考えていた。もし、ハセヲが執着している三爪痕を喪失させることが出来たなら、……考えただけでも身体が震える。それは(おび)えではなく、(えつ)に入った震えだった。
 ハセヲの目標を奪えるなら、それは俺にとっての最大の幸福。
 喪失者は他人から何かを奪わなければ、成立しない。ハセヲから何もかもを奪い、徹底的に苦しめて、それからブチ殺してやる。
 画面に反射して映る、己の狂気に満ちた顔を見つめ、自嘲しながら、HMDを装着、コントローラーを手に持ち、

The World R:2(セ カ ン ド マ イ ラ イ フ)』にログインした。


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