07話<Pain>

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 結局学校に行ったのは昼時だった。前と同じように十二時のチャイムと同時にH R(ホームルーム)の扉を開け放ち、号令の途中だったらしく突然の事に呆気に取られているクラスメイトと教師を無視して自分の席に座った。手ぶらで来た上に授業の終わりに入ってくるなんてふざけてるとしか言いようがないだろうが、教師はそんな俺を無視して教室から出て行った。まぁ、将来の希望すら持たない俺なんかにかまうのは大人でも時間のムダだと分かっているのだろう。
「おはよう、久しぶりに学校来たと思ったらまた社長出勤か君は」
 三枝(さえぐさ)劉治(りゅうじ)が隣の席から呆れ顔で話してきた。……なんだか怒っているようにも見える。
「……言っただろ。俺はお前に会いに来るために学校に来てんだ」
「それは嬉しいけどやっぱり何か間違ってるよ。――それで、今日はどんな頼み事?」
「話が早くて助かる。ちなみに頼み事じゃなくて報告だけどな」
 報告しないと許さないような事を言っていたのは劉治だろう。……フィクスの冷たい笑みが脳裏を過ぎった。あの表情もH(ヘッド・)M(マウント・)D(ディスプレイ)――否、劉治が持っているのは最新のM(マイクロ)2(モノクル)D(ディスプレイ)だったな。ソレが反映した劉治の表情だったのかと思うと、目の前の男が少し怖くなる。
「昨夜、三爪痕と戦った。結果は惨敗だったけどな」
「……お疲れ様。でも君は此処にいる。だから怒りはしないよ」
 安堵したように微笑む劉治を見ながら、心の中で謝った。
 俺は【△隠されし 禁断の 絶対城壁】から【△隠されし 禁断の 聖域】に転送された経緯を話した。そして『グリーマ・レーヴ大聖堂』での戦闘、そして第三者の存在について。
 全てを聞き終わった劉治は、推測よりも先に俺に訊ねた。

「これで、終わりにするのかい?」

 ……それはつまり、三爪痕を追うのは終わりかということか。確かにそう思う。実際に戦って分かったが、アイツには絶対に勝てない確信(、、、、、、、、、)がある。『The World』という檻から解き放たれた鳥なんだ、アイツは。定められている『The World』の固定概念を全て捻じ曲げている。そんな化け物にシステム管理者以外のプレイヤーが勝てるはずがない。いや、もしかしたらシステム管理者側も手を出せないかもしれないな。
 だけどな、俺は――
「俺はそんなに諦めが良くないぞ?」
 劉治は少し真顔のまま、そして軽く息をつくと。
「本当に君は諦めが悪いよね。いつもいつも」
「それだけが取り柄だからな」
 フザけたことを抜かし、笑う。三爪痕は居なくなるわけじゃない。じっくり情報を集めてからでも、遅くはない。
「そうだ。君に訊いておきたいことがあったんだ」
「劉治が俺に何かを訊くなんて珍しいな。情報屋だろうお前は」
「個人の心までは汲み取れないよ。……実はクオリスのことなんだけど」
 その名前に一瞬、胸が詰まった。
「……あいつがどうかしたのか?」
 動揺を悟られないように表情を消して、言い返す。クオリスとの護衛契約を切ったことは劉治は知っているだろうが、それが直接の原因とはまだ(、、)断定できない。
「仮に、彼女が何らかのショックを受けて音信不通になったとしよう。だとしたら、そのショックの原因を取り除けばいい。そうだよね?」
「――あぁ、そうだな」
 なんとなく劉治が言わんとしようとしてる事が分かった気がする。胸糞悪い。……つまり、俺にクオリスに謝りに行けと遠回しに言っているようなものだ。大体、俺が何か傷つけることを言ったか?

 ――確かに、自分勝手なところが似てるかもな!

 ……あぁ、言ったな。自分勝手だと。力を貸してくれると言ってくれた彼女に、冷たい言葉を放った。しかも俺自身を誤魔化す為に放ったんだ。
 本当に自分勝手だな。俺は。
「というわけで、君がロストとして僕の仮定に付き合ってくれるのなら。その原因を取り除いてきてくれないかな?」
 学校でロストとは呼ぶなと言っただろう、と内心突っ込む。俺は諦めのサインのつもりで軽く手を振った。
「……それで? クオリスは何処にいるんだ」
「ここ最近はあまりログインはしてないみたいだけど、たまにとあるエリアに居るみたいだ」
「勿体ぶってないで、さっさと言え」
「君にとっては因縁深い【△守られし 滅天(めってん)の ちぎれ雲】だよ」
 ……またそのエリアか。どうも俺はこのエリアに縛られてしまったらしい。
「それじゃあ早速行ってくる」
 と、席を立った俺に劉治が驚いた。
「え、午後の授業は受けないのか?」
「言ったろうが。俺はお前に会いに来ただけだ」
「ダメだ。今日の授業に出なかったら二度と君に情報は与えない」
「お前は俺がここに残らなくてはいけなくなる最上級の手を初っ端から使ったな」
「君のことは、全部分かってるからね」
 眼鏡越しに軽くウインクした劉治に一瞬イラっとしたが、まぁコイツに敵わないのは今に始まったことじゃない。俺もバカじゃないからな、抑えるところは抑えるさ。
「……はぁ。教科書取ってくるか」
 俺は廊下にある自分のロッカーに向かった。開けてみると、中はとても綺麗だった。って当たり前だ、使ってないからな。教科書も綺麗に並べられていた。次の教科は何だったかなとロッカーん中を探っていると、俺の背中に声が掛けられた。名前を呼ばれたから振り返ってみると、そこには小柄で俯き加減な弱々しい女が立っていた。俺は不本意だが、一瞬チワワを連想してしまった。
 ……さて、コイツは誰だったか。
「……授業、出るんだ。良かった、なかなか学校にも来ないし……、その――」
「俺に何か用か?」
 普通に応対しただけだったのだが、ビクッと肩を震わせてまた俯いてしまった。なんか俺が(いじ)めてるみたいだな。そんな風に思われたくなかったんで、とりあえず会話の方向を導く。
「お前、誰だっけ?」
 かなり失礼な質問だとは分かっている。だが、知らないのも事実だからな。
「……繭村(まゆむら)(みお)。同じ、クラス。でも、……喋ったこともあまり、ない」
「――そっか。で、何の用?」
「……」
 ダンマリかよ。……ったく、こういうウジウジしてる奴は好かねぇんだが。見ててイライラしてくるしな。
「ごめんなさい、やっぱりなんでもない……!」
「ぇ、あっ、おい!?」
 繭村澪はスゴイ勢いで謝るとそのままHRに走って行ってしまった。
 ――いったい、なんだというんだ。
 ロッカーの扉を乱暴に閉めて、俺もHRに戻った。


 その後のことを話そう。
 HRに入ったとき変な顔をしていただろう俺は劉治に「どうかした?」と訊かれた俺は「別に」と返答。一方、授業中。後ろから視線を感じたので振り返ってみたら繭村澪が俺のことを見ていた。なんなんだあの女は……。長い前髪で顔が隠れて顔が見えなかったので余計に不気味だったぞ。
 結局最後、教師の言っていることが九割方理解できなかった俺は五分でペンを机に転がし机に突っ伏した。目が覚めたら放課後だったというのは言うまでもないだろう。
 劉治と二言三言(ふたことみこと)話して、帰路に着いた。


 自宅に帰った俺がリビングで牛乳を飲んでいると、母と遭遇した。「学校に行ったの?」と訊かれたので、サボリでもないし「そだよ」と答えた。会話はそれっきり。俺は自室に戻ってパソコンの電源を入れた。完全に起動するまでの間、制服を脱いでハンガーに掛けて寝巻きに着替えた。するとピポッという電子音が鳴った。どうやらメールが届いているらしい。メールボックスを開き、中身を確認する。
「――どうやら、手間が省けたようだな」
 新規メールは、ネットショッピングの広告、メールマガジンが数通。そして、クオリスという差出人からのメールが一通あった。
 クオリスのメールを開く。……内容は実に簡単だった。『お話があります。【△守られし 滅天(めってん)の ちぎれ雲】にてお待ちしています』というものだ。俺は、このメールが昨日の段階で届いていれば学校に行かずに済んだな、などと考えていた。
 さて、クオリスの話とは何なのだろうか。俺は使わない脳を稼動させながら『The World R:2』にログインした。


 (デルタ)サーバーのルートタウン。悠久(ゆうきゅう)古都(こと)マク・アヌ。そのカオスゲートから【△守られし 滅天(めってん)の ちぎれ雲】を選択して転送されてきた。
 相変わらず草原と青空ばかりが広がるエリアだ。何の変哲もないただの中級者エリア。
 俺の目の前にクオリスが立っていた。
「お久しぶりです。お元気そうで、何よりです」
「そんな挨拶はいい。話ってのは何だ?」
 クオリスは俺の――ここではロストだが――の瞳をしっかりと見てきた。グラフィック越しに、リアルの彼女もこんな目で見ているのかと思うと少し迫力に押されそうだ。
「呼び出しておいてなんですが、ここではお話できません」
「はぁ?」
「明日、午前十時に神門(みかど)町駅で待ってます。アナタに、会って欲しい人がいるんです」
 クオリスは、現実(リアル)で会おうと言っているのか……。だがこれは、どう考えてもオフ会で和気藹々(わきあいあい)みたいな感じではない。いや、それよりも。顔を知らない人間と会うのは何か危ないかもしれない。
 俺が警戒しているのを見て、クオリスは軽く溜息をついた。
「やはり、急にこんなことを言われたら困惑しますね。見ず知らずの人間と会うのですから……。ならば、フィクスを――三枝劉治も同伴で結構です。彼と私は現実(リアル)で面識がありますから、安全は保障できます」
「――いや、劉治の名前が出た時点で安心だ。あとで現実(リアル)のクオリスと面識があるかを俺が訊いてみるだけでいい。分かったよ、今はあんたを信用しよう」
「……ありがとうございます」
 深くお辞儀をするクオリスは、以前と全くと言っていいほど変わっていない。真人間、ということか。俺みたいに(ひね)くれている奴よりかはマシな人種だ。
「じゃあ、明日。十時に神門町駅だな」
 神門町駅なら、この町から三つぐらい隣だな。……意外に家が近かったんだな。
「はい、お待ちしております」
 俺は返事に片手で答えてプラットホームからタウンに戻ろうとした。するといきなり「あっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいぃ!」と素っ頓狂な(おもしろい)声で慌てているクオリスがいた。
 クオリスは俺の前までダッシュで来ると肩を上下させながら言った。
現実(リアル)で会ったことがないのに、……何か目印がないと分かりませんよねっ?!」
「――あぁ、そうだったな」
 忘れてた俺も俺だが、クオリスは相変わらずどこか抜けていた。氷の女神のような奴が、今は羞恥(しゅうち)で茹でダコ状態だ。不覚にもこんなクオリスはこれでイイと思ってしまった。
「私はつばの広い帽子を被っています。白で、青いリボンが巻かれた帽子です」
「俺は、……そうだな。特徴などないが、白のシャツに黒のTシャツに青のジーパンだ。んじゃな」
 俺は今度こそプラットホームからタウンに戻った。
 それ以上は『The World』に用はなかったので、フィクスにクオリスとの面識について確認を取ったらパソコンをシャットダウンして、すぐにベッドに寝っ転がった。
 ふぅ、今日は疲れた。久しぶりに学校に行ったし、授業受けたし。先生様の仰っていることは何も理解できませんでしたがネ。
 それにしても、クオリスの奴何を考えてやがる……。俺に会わせたい人って誰だ? もしかして俺が過去にPKした奴、とか。路地裏に連れ込まれてボッコボッコ……。
「アホらし」
 クオリスがそんな事するつとは思えないし。ということは彼女自身の目的、俺の護衛に付いた理由。それらに関係することだろうか? ……あー、考えてもしょうがねぇな。寝よ。
 照明を消す。暗闇の中、意識が眠りにまどろむ中、俺はリアルのクオリスってどんな人かなと少し楽しみにしていた。


 翌朝。そろそろ夏が近いことを告げるような快晴だった。俺は滅多に着ない私服に着替えて、飯も食わずに家を出た。神門町は俺の住む町から電車で駅三つ隣だ。電車で十分ぐらいで着くだろう……が、少し余裕を持って待ち合わせ場所に行こうと思った。クオリスのことだ、きっと待ち合わせの三十分前から待ってるに違いない。
 ということで九時二十分に電車に乗った俺は九時半には神門町駅に着いた。駅前広場でクオリスの述べた特徴の人を探す。大きな白い帽子を被った白のワンピースを着た女を見つけるのは容易(たやす)かった。
 まず、最初にその人物を視界に(とら)えたとき、ピリっとした緊張というものが伝わった。俺がクオリスと交戦したときに感じたような戦いの雰囲気。それを白いワンピースの女も発していたということだ。……自分でも驚きだが、一発で俺を見抜けたクオリスにも脱帽だ。
 真っ白な女は俺に真っ直ぐ向かって来て、目の前でこう言った。
「いつもそんなに殺気を周囲に放ちながら生活してるの? ロストさん」
 切れ長の綺麗な目。やんわりとした表情。整った顔立ち。十人中九人は美人と称すだろうその美しさを纏った女だった。クオリスのリアルは、予想以上に綺麗だった。まだ大学生、といったところか。とりあえず、イメージは、なんだか日光が苦手そうだから『病弱なお嬢様』にしておく。
「いや、ただな。お前の放つ緊張感が俺に伝わってきたからつい反応しちまっただけだ」
「あら、私そんなに怖いですか?」
「いんや、思ってた以上に美人で驚いたよ」
「っえぇ!? ……あなたでも、そんなこと言うんですね」
 少し頬を赤くしているクオリス。……なんだこの胸がこそばゆい展開は。これじゃ普通にデートの約束した男女じゃないか。しかし、仮想でも現実でも同じ奴だな。警戒してた俺がバカみたいだ。
「それで、ここでも『The World』(ネット)の名前で呼び合うのか?」
「あ、そうでした……。私の名前は来栖川(くるすがわ)伊織(いおり)です。あなたは?」
 俺は名乗ると「可愛い名前ですね」とか言いやがったコノ(アマ)
「顔も、怖い顔を想像してたんですけど。まだ幼い少年って感じで。可愛くて安心しました」
 ニッコリ笑う来栖川に『可愛い』とか言われてついさっき芽生えた殺意が、……消沈した。くそっ、その顔でそういうこというのは反則だ。
「ったく! さっさと行くぞ!」
「あ、ごめんなさい。じゃあ行きましょう。総合病院に」
「病院って、何か怪我でもしてんのか?」
 だったら俺が付き合わされる意味が分からない。
「付いてくれば、分かります」
 しょうがなく俺は来栖川に無言で付いていく。途中「結構清潔感あるよね?」やら「学校はちゃんと行ってるの? なんか不良みたい」とか。俺のプライバシーにバシバシ入ってきやがる。なのに、自分のことは何も話さない。これから向かう場所に、何があるというのだろうか。

 案内されたのは総合病院(十三階建てのこの地区じゃ一番大きな病院。設備もかなり整ってるらしい)十三階の六号室。ドアの前のネームプレートには『宗像傑』と書かれていた。多分、『むなかたすぐる』と読むのだろう。だがしかし、面会謝絶とドアに貼ってあるが。
「入ります」
 来栖川はドアを開けて中に入った。ノックなしかよ……。俺は思わず廊下を見渡して、誰もいないことを確認してから病室に入った。

 そこには一人の男が何本ものチューブを生やして(、、、、、、、、、、、、、)横たわっていた。

 管を通されて血管に直接送られる栄養剤。呼吸を助ける酸素マスク。そして目の前の人間が生きていること≠伝える心電図。心電図の規則正しい電子音しか、この真っ白な空間に存在しない。
「この人は、私の大切な人です」
 来栖川が口を開いた。今日話した中で、一番真剣な声だった。
「私は、大切な人を奪われました。三本の爪に、身体を貫かれた彼は今もこうして意識不明のまま。もう半年も目を覚ましません」
「三本の爪だと……っ!? まさか――」
 まさかとは思った。だが、俺たちが出逢った理由はなんだった? 何がロストとクオリスを結びつけた?
 答えはどんなに探したって一つ。
「トライ、エッジ……ッ!!」
「そう、私がその存在を追う理由は……彼≠フ仇を取るためです」
 来栖川は真っ白な部屋に真っ白な服でいるせいか、その存在が危ういものに見える。今度はこいつが消えてしまいそうな、そんな錯覚に陥った。
 来栖川が帽子を取り、俺を見つめて言った。

「全てをお話します」



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