今日という日は新たなる記憶になるだろう。トラウマになるかオモイデになるか。決めるのは自分自身だということを蒼真は思い知る。
が、装甲はいとも簡単に苦無を弾き返すと、無数の刃となって蒼真に襲い掛かった。たまらず後方に回避した蒼真は、鋭い痛みに苦痛の表情を浮かべる。軽傷だが、何本かの刃が掠めたらしい。ところどころの服は裂け、そこから赤い血が滲み出ている。 「どうしたァ? テメェの能力はそんなちゃっちい武器しか形成できねェのかッ!」 紫色の血がAP09の皮膚を突き破り、次第に身体全体を覆っていく。やがて甲殻類の生物のように全身を装甲で覆ったAP09は、顔面に張り付いた4つの目を凝らして蒼真を捉えた。 エミュダスと肉体を共有する。その意味がようやく理解できた。それは、エミュダスが元々持っている再生能力を変換させた能力だ。エミュダスが元の肉体に戻ろうとする意思を操作して、自身の肉体に定着させる。再生能力の助けもあり、傷つこうがいくらでも回復する。 なんという恐ろしい能力だろうと、蒼真は思う。桁違いの容量、能力の訓練のされかたが尋常じゃない。平凡に毎日を暮らしてきた蒼真と、軍事施設で人形のように命令に従っていたAP09の差は歴然だった。 だが蒼真は、そんな彼を恨むことなく、ただ可哀想としか思っていなかった。AP09は、蒼真の能力の源点は水と言っていた。ならば、AP09の能力の源点は生命だろう。生かすも殺すも、彼が決める。美しい能力を、ここまで歪ませてしまった彼を、蒼真は憎むことが出来ない。 「……んだよ、その哀れむような目はよォ。ムカツクんだよ! その見透かしたような目、昔から変わっちゃいねェ!」 そう、彼は蒼真の過去を知っている。なんとしてもそれを聞き出さなければいけない。蒼真は最後の筒を手に取った。 「教えてくれ。僕はいったい……、何者なんだ?」 「変わらない。俺もお前も、ただのバケモンだ!」 装甲を軋ませ、AP09が突進してきた。そのタイミングを見計らって、蒼真は筒の中身を全てぶちまけた。空中に散布された水は、繋がりを保ったまま網状に広がり、そのまま硬質化する。 「なッ!?」 鋼鉄の網が、AP09を捕縛するように絡みつき、近くの大木に巻きついた。 「……これで君は3分間だけだけど、身動きは出来ないよ」 蒼真は最後の1本を、攻撃ではなく、話し合いをするためだけに使用したのだ。ゆっくりと歩み寄る。 「僕は3分間、君に危害を加えない。だから、話してくれ。君が知っている、僕のことを」 「……まァ、いいだろ。過去のことを話すのは、別に口止めされちゃいねェ」 AP09の顔を覆っていた装甲が剥がれ落ち、AP09の素顔が晒される。蒼真を憎むような鋭い目だけは変わらなかったが。 「――10年前だ。俺もお前も、そして他にも何人もの子供が軍の研究所に保護された。いや、監禁だったな。アレは」 「そこで、いったい何を研究していたんだ!」 「るっせェ、目の前でピーピー喚くんじゃねェよ! ……目的は知らないが、実験の材料に子供が何人も使われた。そこで ククク、と笑いを押し殺すようにAP09は言った。 「あとは、テメェを連れ出した科学者にでも聞くんだな。 「!? なんで父さんが――」 蒼真の顔面は真っ青になった。 そして、問いかけようとしたその刹那。遠くから耳をつんざくような轟音が聞こえた。 嫌な予感が背筋を舐めた。気が付くと蒼真は村のほうへと駆け出していた。 「……置いてけぼりかよ、クソッ」 AP09は虚しく吐き捨てた。 井之上雅人は、自慢の白衣を真っ赤に染めて倒れた。目の前では煙を噴いた銃を構えている 「……久しぶりの、再会に――何の感動もなく、いきなり……発砲ですか」 「裏切り者には猶予など与えん」 「酷い、なぁ。一応は……職場仲間、だったんですよ」 血の塊を吐き出しながら、雅人は言う。初弾は腹部を撃ち抜かれた。見る間でもない、間違いなく重傷だ。思っている間にも、右足を撃ち抜かれた。一方的な虐殺は、まだ続いている。 「貴様など、ただの利用価値のあった研究員にすぎぬ。私が興味あるのは、岡崎だ。奴はどこへ逃げた。貴様は知っているだろう?」 「知りません、よ。それに、弘蔵が興味あるのは、岡崎……じゃない。彼が、連れて逃げた――AP02、でしょう」 霧影はその言葉にピクンと眉を動かしたが、表情は変えなかった。かわりに答えるように、再び発砲した。今度は左足を撃ち抜く。雅人は、激痛で声も出せず、ただ体力を消費するばかりだ。 「知らないのなら、貴様は用済みだ。AP01――蒼真といったか。実験体は連れて帰る。再び利用するためにな」 「そ、うまッ……!」 撃鉄を降ろし、トリガーに指を掛ける霧影を、雅人はただ見ているしかなかった。目の前で死の宣告を受ける受刑者のような気分で、雅人は目を瞑った。 だが、神は運命をイタズラするのが好きなようだ。 トリガーが引かれようとした瞬間に、霧影の視界に動く人影。 「父さん!」 その声に反応した霧影は銃口をそらした。発射された弾丸は動かない雅人の身を掠めた。 声を発した人物は霧影を捉えると、必死の形相で走ってきた。『蒼真』。しょせん与えられた名前に過ぎぬ、と霧影は心の中で嘲笑した。 蒼真は雅人に寄りそうと呼吸を確かめた。わずかに聞こえる呼吸音と、微弱だが波打つ心音。 まだ生きている! 蒼真はひとまず安心すると、目の前で銃口を向けている男に話しかけた。 「あなたは、なんでこの村に来たんですか!?」 「決まっているだろう。貴様がこの村にいるたからだ。『蒼真』という偽りの名を持つ『AP01』よ」 「そのッ、名前で呼ぶな!」 と、蒼真は拳を握り、霧影の顔面目掛けて拳を突き出した。霧影は瞬きもせずその一撃を避けると、逆に蒼真の顔面に裏拳を叩きつけた。ゴリッ、と拳がめり込み、蒼真は上半身を反らしながら後方へと吹っ飛んだ。 「ッガァァアア!?」 土や泥が口の中に入り、気持ち悪い感触が口内を支配する。吐き出すと、うっすら血が混じっていた。 「……やはりもう、貴様には利用価値などないか。失敗作≠ヘ生かしている意味もない」 くだらないものを見るかのような眼で、銃口を蒼真に向けた。刹那、 「!!」 一閃の白刃が霧影の銃を切り落とした。遅れて巻き上がる砂埃。バサッ、と着物が風を打つ音。いつのまにか蒼真と雅人を両腕に抱えていたのは、九牙朱鷺允だった。 「すまない蒼真。少し遅れてしまったようだ」 「先生! あの男っ!」 「話は後だ。今は彼の治療が必要だろう」 雅人を噴水の前にあるベンチに寝かせると、着物の振袖を破いて包帯代わりにし、出血を抑えるようにきつく巻いた。そして、霧影の銃を切り落とした剣を拾い、霧影に向き直る。 「貴様……。なかなかやるようだな。まさか剣を投げてくるとは思わなかったぞ。反応が遅れていたら、私の片腕は切り落とされていただろうな」 「あぁ、そのつもりで投擲したのだが。あれを避けるとは、さすが隊長格だ」 「まぁ、待て。私は武器を壊されてしまった。もう戦えないのだが、不戦勝ということでいいかね?」 霧影のおどけたような冗談を、九牙は鼻で笑った。 「なにを言うかと思えば。それではアナタの右腕は飾りかな?」 その言葉にピクンと霧影の眉が動いた。 「貴様、いつから気付いた」 「いまさっき。アナタが剣を完全には避けずに銃のみを犠牲にしたということだ。 という言葉と同時に、抜き足≠ナ瞬時に間合いを詰め、霧影の右腕に剣を振り下ろす。が、その剣は肉を切らず、骨を砕かず。ガギィン、と弾かれた。生身の人間に切りかかったというのに。 「……貴様。私を侮辱したな!」 と、霧影の右袖が破かれて出てきたのは生身の右腕ではなく、鋼鉄の剣だった。変わった形の剣だ。薄紫色の刀身に、紫の鍔。鍔は横に広く伸びていて、それらの一つ一つが牙となって霧影の肩に突き刺さっている。 簡単にいうなら、肩から刀が突き出ているといった光景だ。 「これはエミュダスのDNAを宿らせた刀でな、意思を持っている。出来損ないの剣だが、力は――」 と、霧影が右腕を大きく振るった。九牙はとっさに刀で受けたが、圧倒的な力の差に刀ごと吹っ飛ばされた。今の一撃だけで刀身にヒビが入ってしまった。なんという破壊力だ、と九牙は失笑する。 「――強いが、不安定でな。調整出来ないのだよ。私の意思に反して動くこの刀は、私の意思を飲み込んでいく。いや、喰らっていくといったほうが正しいだろうな」 その言葉が真実であったと、蒼真は確証を持った。攻撃を加えた瞬間、肩と刀を接合している牙が深く食い込むように霧影に喰らいついていたからだ。痛みを感じないのだろうか、と蒼真は敵を心配した。 と、殺気が多方向から放たれた。咄嗟に雅人を抱えた九牙、蒼真、霧影が噴水前から避けると、そこに大木の雨が突き刺さった。視線をめぐらせると、そこには紫の装甲で身を固めたAP09。クモの身体、頭には複数眼の人間が生えたような化け物。 「ぶっ殺す!!」 と言ったのだと思う。だが発せられた言葉は、すでに人間の言葉ではない、くぐもった声で化け物はそう言った。 手負いの青年、武器を持たない少年、部分的に人間でない青年、化け物になった少年。 それぞれがそれぞれのオモイで、闘いを再開する。 |