Chapter-2<移り変わる平常>

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 三月二十七日 午後一時四十七分 アーバン商店街

「で。あと何軒回るんだ?」
「次の店でおしまい。ほら、キリキリ歩く!」
 買い物袋を両肩と両手に二つずつ。加えて自分の荷物を背負っている俺は、今すぐこの鬱陶(うっとう)しい重量感を全て投げ捨ててどっかに飛んで行きたかった。
 彼女が出した条件は、ただ荷物持ち。まぁそんぐらいで案内して貰えるなら安いものだと思っていたのだが……!
 スーパーで、商品をオバさん達と奪い合いながらレジまでダッシュし、他の店ではタイムサービスで安くなった魚や肉を手に入れるために強引に人の列に押し込まれたり。かといって商品を手に入れたら「数が少ない、なにやってんの!」と文句を言われたり。
 その後もいろんな店を連れ回されながら、今に至る。
「あなたねぇ、男の子でしょ? 力見せなさい、力を」
 アッシュブロンドの前髪を()()げる彼女。……手ぶらのくせに偉そうだな。しかも半分以上が俺の支払いだ。
 なんでも、買い物の上限を考えてなかったとか。狙ったようなミスのおかげで俺のサイフの中は……えーっと、野口英世が二人。冗談抜きでヤヴァイ。今月は仕送りまで待たないといけないのに……。返済の保障すらない。ご利用は計画的にだ。
 いきなりの非常事態に俺は苦しくなって思わず項垂(うなだ)れる。あぁ、社会で生きていくってってこんなに苦しいんだな……。
「ここで最後よ」
 その声に顔を上げてみると、……八百屋さんだった。看板には『八百屋魂』とデカデカと描かれている。そういえばスーパーでは肉と魚しか買わなかったな。何か買い物の仕方に決まりがあるのだろうか? いや、なんか俺深く考えすぎてないか?
「おう、いらっしゃい結命(ゆい)ちゃん!」
 店から、頭に『八百屋魂』と描かれたハチマキを巻いたガタイのいいオジさんが出てきた。見た目からしてここの店長さんだろう。それよりも今更だが、……結命っていうのかこの子の名前。
「マサさん、白菜とネギちょーだいっ」
「あいよ!」
 ――彼女の買い物に付き合ってみて、産まれた時からこの町に住んでいるというのが本当だと良く分かる。お店の特売日やら商品の位置、抜け道や近道もたくさん知っていた。
 それになにより、店員さんと彼女が名前で呼び合うほど親しいことだ。……これだけ美人なんだ。商店街のアイドルにでもなればいい。
 そんなこと言ったら皮肉だと思われるだろうがな。
「ちょっと、早くお金出してよ!」
 その言葉に我に返ると、すでに野菜を入れた袋を引っ提げて俺の事を睨んでいた。あぁ、そうでしたね。支払いは俺でしたね。
「おいおい結命ちゃん。彼氏に(たか)っちゃ可哀想だろう」
 ……は? 誰が彼氏だって?
「ちょっ、ちょっとマサさん! こんな奴、かっ彼氏でもなんでもないわよ! ただの荷物持ちなんだからねッ!?」
 そんな力一杯否定されると勘違いでも(ヘコ)むぞ。だが顔を赤らめて拳を握って必死に否定してる彼女は正直可愛かった。
「しょうがねぇなあ。よっし、彼氏君が可哀想だから今日はサービスしちまうぞ! 持ってけ、ドロボー! ガッハッハッハッハッ!」
「えっ、いいの!? マサさんありがとっ」
 お言葉に甘えて商品を受け取る彼女が小悪魔っぽく見えた。……まさかこの女の計画通りか!?
「おう、彼氏君。ウチの店で扱ってる野菜は全部無農薬だ! 美味いぞ! たらふく食えよ!」
「ぇ、あ、ありがとうございます」
 オジさん――マサさんの熱いメッセージを受け取り俺達は再び歩き出した。
 ……いつか誤解を解いたほうがいいのかなぁとか思いながら。

 それから彼女にはアーバン商店街のお勧めの店を紹介してもらった。なんだかんだ言いながら、最後の八百屋で買った物は彼女が持っている。素直な一面も、一応は持ち合わせているらしい。
 彼女は歩きながら「あの本屋は発売日よりもかなり前から商品が売ってる」とか、「スーパーはタイムサービスのある日が狙い時」だとか、「ここの喫茶店の店員は仲良くなれば、たまにサービスしてくれる」とか。
 俺が()かなかったことも、彼女は喋った。本当にこの町のことを良く知っているんだな。産まれたときから住んでいると言っていたが、時間だけではここまで詳しくは分からないだろう。
 この町が好きだからこそ、この町をもっと知りたいっていう気持ちがあったからこそ、ここまで知ることができたんだと思う。ただのワガママ女だと思っていたが……どうやら、認識を改めなくてはいけない。
 彼女を案内人にして本当に良かった。俺の勘も捨てたもんじゃないな。
 そして現在、俺達がいるのはアーバン商店街の出口側。商店街を隅々(すみずみ)まで探索し終わった頃にはすでに午後の三時を回っていた。
 しかし、彼女のおかげでこの商店街のことはよく分かった。今度暇なときにお勧めされた店を回ってみようと思う。
「ありがとう。君に案内を任せて正解だったと思えたことが何よりの収穫だったよ」
 皮肉を言いつつも頭を下げ、とりあえず感謝の意だけは示しておく。
「褒めてもなにも出ないわよ。ただ、この町に興味を持ってくれればそれだけでも良かったの」
 そう言って微笑んだ彼女は、今まで見せたどんな表情よりも綺麗だった。そんな彼女を見るのが恥ずかしくて、俺は空を(あお)いだ。……きっと今の俺は顔が赤い。
「好きなんだな、この町が」
「うん。でも、……本当にただの町案内だったのね。あたしの美貌(びぼう)に魅かれて、またツマラナイ男が言い寄ってきたかと思ったわ。路地裏に連れこまれて変なことされたら、心ゆくまで蹴り倒してやろうと楽しみにしてたのに……」
 前言撤回。怖いこと考えてましたこの人。ってことは以前にもそんなことがあったってことか。自分がどれだけ身の程知らずだったか、今になって思い知ったぞ。
「誰がそんなことするかよ!」
「冗談よ、冗談」
「ぜってー本気で言った」
「まぁ、この話は置いといて」
 お前からボケ始めたんだろうが、という心のツッコミは言っても無駄だろう。
「ところでもう案内しなくていいの? まだ時間はあるけど」
「買い物は終わったんだろ? だったら君の学生寮まで案内してくれないかな。荷物運んじゃうから」
「ぇ、いいの?」
「いいもなにも、俺は荷物持ちなんだろ。だったらちゃんと目的地まで運ばないと」
 本音としては早く開放されたいだけだが。
「うん、分かった。じゃあ、あたしの下宿してる学生寮まで案内するわね。ちゃんと着いて来るのよ!」
 言うやいなや、ダッシュで走り出した。……って、え?
「ちょ、待てやコラァァァアアアアアアアアア!」
 悲鳴を上げる両腕を懸命に振り回して、彼女――結命の背中を追いかけた。


 同日 午後三時十八分 天浮橋町駅発アーバン商店街経由水無川学園行きバス天号車内

「バスで、ゼハー、行くなら、ゼハー、――行くって、ゼハー、言ってくれりゃ、ッいいのに……」
 俺が必死に腕を振りまくって追いついたと思ったら、そこはバス停で。学園行きのバスが丁度来てたから焦った。その証拠に今も心臓がバグバグいってる……。
 このバスは【天号車(てんごうしゃ)】と言って、学園と天浮橋を繋ぐ走行バスだという。学園に向かう途中に各学区も通るらしいので、これで彼女の寮のある学区に向かうという手はずだ。
 交通費のタダの学園所有のバスか。水無川学園関係者を証明するICカードでIDを認証すればタダで乗れるらしい。学生の場合は学生身分証とかだな。教員も同様。なんでもかんでも最新技術というか、便利になったというか。都心ってスゴイな。
 ちなみに、ちゃんと学生証(合格通知と一緒に送られてきた)をタッチしたぞ。JR西日本で使ってたICOCAみたいだった。
 窓の外に目をやると、森林が視界に入った。光纏山(こうてんざん)の敷地に入ったのか坂道が続いている。なるほど。確かにこの通学路の急斜面は徒歩じゃキツイだろうな。
「ごめんねぇ、バスの時間に間に合いそうに無かったから全力疾走しちゃった♪」
「可愛く言えば許されると思うなよコラ」
 もう歩きたくもない。俺はこのままこのバスの座席と運命を共にするんだ。座席に座ると背中から疲れが吸収されるようだぜ。あー、癒される。
「……おじいさんみたい」
 吊り革に捕まりながらそんな事言うなよ。マジで悲しい。
 ……それにしても。むず痒い距離っていうのだろうか。落ち着かないから取っ払いたいな。
 よし。
「なぁ、悪いんだけどさ」
「なに?」
「名前、教えてくれないか?」
「……」
「……」
 今更だな、お互いに。
「俺は三上天人(みかみあまと)。来月から水無川学園高等部一年生。いろんな事情で一人暮らし開始、よろしく」
和歌森結命(わかもりゆい)。特にナシ」
 味気ない自己紹介。多くは語らないってことか。もう会うこともないだろうしな。俺はただの荷物持ちだし。
「それじゃ和歌森。到着したら、あとは管理人にでも手伝ってもらってくれ。俺は第七学区って場所に行かなくちゃいけないから」

 瞬間、

 周辺の空気が急激に冷たくなった。周りの乗客も「なんだなんだ」と顔を強張(こわば)らせる。俺は背中をなぞる冷気に身体を震わせながら、驚いた表情で凍り付いている彼女を見る。
 と、その時アナウンスが響いた。どうやら第七学区に着いたらしい。
「……降りようか」
「は?」
「いいから、降りるわよ」
「あぁ……」
 俺達がバスから降りると、背後から安心したような声が聞こえてきたのは何故だろうか。その答えはきっと、
「ふざけんじゃないわよぉぉぉおおおおおお!!」
 ドグシャ、っと俺のアゴに突き刺さった拳が答えだな。
「げぶぅっ!?」
 和歌森の、斜め四十五度から抉りこむように放たれたアッパーをアゴに喰らい、俺は宙で二回転ぐらいしてから地面と抱擁したっ! あ、荷物はバスから降りたときにベンチに乗せておいたから無事だぞ。……って何の心配してんだ俺は。
「荷物運んでくれてありがと。あたしの下宿ここなのよ。どうやら、あなたもここみたいだけどね!」
 くそっ。なんだこの『荷物運ぶのを手伝った先が自分の下宿先(、、、、、、、、、、、、、、、、、、)』だなんていうお約束の展開は。聞いてないぞ、誰か責任者呼んで来い。……うわぁ地面がぬかるんでて冷たい。
「ハッキリ思い出したわよ。あなたが今日から寮に入る三上天人ね。……ったく、あなただって分かってたら案内なんてしなかったわよ!」
 理不尽だ。俺がいったい何をしたんだ。
 俺は服に着いた砂を払いながら起き上がると、和歌森の正面に立った。
「あのなぁ。俺が何をした? ただ案内を頼んだだけだろうが」
 口調を少し荒げる。自分の中では嫌われる要素なんて一つもなかった、はずだ。
「……だったら教えてあげる。今日のどんな事だって関係ない。あなたが、……アンタが――」
 和歌森は腹いっぱいに息を吸い込むと、全て声に乗せて吐き出した!

白馬の王子様じゃないからよ!

 ………………………………え?
「はぁぁぁぁああああああああああああああああああ?!」
 俺の全て――心のパロメータとか人生ステータスとか――が崩壊する音が脳内で鳴り響いている。
 え、ナニソレ。完全な逆ギレじゃないか。大体、意味が分からん。王子様だぁ? 夢見すぎてアホになったのかコイツ。
「少なくとも、あたしにとってのね。……あー、もう。なんでこんなにイライラするのかしら」
「きっとお前より俺のほうが遥かにイライラしてると思うけどな」
 女じゃなかったら一発ブン殴ってるとこだ。
「……」
「……」
 お互いに怒りの沈黙。
 しかしマズイな。相手の理由がどうあれ、この重い空気。どうにかしないと場が持たない。特に俺が。
「そ、それにしてもすごい偶然が重なったな」
 俺は会話のないこの空気を一変するため、口火を切った。
 新天地で出会い、道案内を頼んだ子が同じ下宿先。話が上手すぎるとは思うが、学生が多い水無川学園では、考えられることなのかもしれない。だが彼女は、俺の意見を鼻で笑った。
「ねぇ。本当に、この世に偶然なんてあると思う?」
「……ひぇ?」
 いきなりの妙な発言に、俺は擬音のような発言しかできなかった。
この世で起こること全てを必然と呼ぶなら、偶然なんて言葉は必要無いわよ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「まぁ、そりゃそうだけど」
「だから、今日あなたとあたしが出会って下宿先が同じなのも、偶然じゃなくて必然ってことになるわ」
 ……おかしなことを言う奴だ。確かに偶然で片付けるには軽すぎるがな、ここまでスケールのデカイ話になるかね。
 物事は見る人によってとらえ方が違う。だが彼女に言わせたら、どんな事でも神秘的に言い換えてしまうだろう。
「ほら、さっさと行くわよ」
 肩を激しく揺らしながら、和歌森は先に行ってしまった。ったく、このワガママな性格。少しは直して貰いたいものだな。これからの事が思いやられる。
 彼女に良い様に使われている俺が安易に想像できるからな。


 同日 某時刻 第七学区学生寮前
 
 バス停から少し歩いたところにそれはあった。
 学生寮と呼ぶには少し大きい六階建て。学園と同じように純白の建物だった。
「科学技術の最先端、とか言うわりに。外見は普通なんだな」
「でしょ。本当に普通すぎるところよ」
 そう言った彼女の言葉は、少し棘があった。
「何をそんなにカリカリしてるんだ?」
 まさかさっきの延長じゃないだろうな。俺が恐る恐る言うと、彼女は顔を伏せて静かに言った。
「……退屈なのよ。毎日が同じ事の繰り返しで、変化なんて全然ない。あたしはそんな日常に飽き飽きしてるの!」
 さぁて、なんか聞いたことあるような変なことを言い始めたが、……その気持ちは分からなくもない。中学の後半からは受験に向けてひたすら勉強し、指定された量の宿題をこなし、ただ成績を上げるために一心不乱に勉強した。そんな毎日の繰り返しは、受験が終わった今でも続いてる。これからは高校の勉強に追い付いていけるように、予習や復習も欠かせなくなってくる。
 変わったことなんて何も無い。
 彼女はそんな当たり前のことしか学べない日常に退屈しているのだろう。
「まぁ、あなたが来たことで何かが変わるなんて考えてないけどね」
 頭の悪い俺でも勝手な想像はできる。きっと俺を殴ったのは、その変化をもたらしてくれる王子様を望んでいたからだろうな。俺は、普通の人生を送ってきた普通の人間だし。彼女の期待には答えられないのが現実ってもんだ。……俺殴られ損じゃねぇか。
「やめましょ、こんなくだらない話は。あなたは管理人に挨拶しなきゃね」
「ん、あぁ……。せっかく菓子折りも買ったわけだし。もちろんそのつもりだ」
 寮のエントランスパネルに学生証をかざし、中に入る。すぐ横に『管理室』と書かれたプレートが掛けられている部屋を発見した。和歌森がインターホンをカチカチ鳴らしたが、反応がない。
「そうだった。インターホン壊れてるんだったわ」
 と、彼女はいきなりドアを力一杯ぶん殴り始めた。ガンガンという打撃音と、ドアが軋む音が一定のリズムで混じり合って鼓膜を刺激する。
「おい、ちょ、やめろって! 壊れちまうだろ!」
「いいの。これぐらいやらないと起きてこないのよ、ここの管理人は!」
 そしてもうしばらくガンガンしてると、ドアの鍵がカチャリと回った。ようやく管理人さんのお出ましか。と思ったら、

 内側からものスゴイ勢いでドアが蹴破られた。

 ――かもしれない。なぜ自信がないかと言うと、目の前で吹っ飛んだドアが俺を直撃したからさ。

 誰でもいい、俺を助けてくれ……。



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