【 Chapter-3<彼の者達の園> 】
皆さんは『 『茶の湯で、茶会は毎回、一生に一度だという思いをこめて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきことを説いた語。転じて、一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎりであること』―― 俺は意味を知ってからは、人との出会いを大切にしている。学校なんかがそうだ。大勢の人間がいる場所。大勢の人間と話す場所。大勢の人間と出会う場所だからな。 こんなにも言葉の意味は重いのだな……と、俺は考えていたのだ。 ―― 三月二十七日 某時刻 第七学区学生寮エントランスホール 「ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおぶべっ――――!?」 俺は物理的法則にしたがい、ドアと同じように吹っ飛んだ。そりゃもう、漫画みたい。俺の叫びは途中で悲鳴に変わり、ガシャンッとドアだったものが落下し、派手に転がり、壁にぶつかってようやく停止。身体中が痛い……ちくしょう。 ドアの角が直撃したのか、 整った顔立ちに、獲物を狙うような鋭い目に、光る黒の瞳。腰まで伸びた艶やかな黒髪は、ゴムで纏めてポニーテールとしている。魅力ある大人の女性だ。 長いポニーテールを揺らしながら その女は俺を見た――瞬間、驚いたような表情になったのは、……多分気のせいだろう。なんでコイツはこんな所で転がっているのだろう、といおう顔をしている。あんまりだと思う。 女はいつのまにかドアの前から移動していた和歌森を睨みつけると、とても響き渡る大きな声で言った。 「あんな馬鹿デカイ音、一回で気付くわよ! 何度も叩かないでよ 「あれでも静かなぐらいよ! それに、あれぐらいしないと 「なにぃ!?」 「ホントのことでしょうが!」 ……あのー、怪我人放っておいてケンカですか? 酷くない? 痛いところをさすりながらしょげていると、ふいに蜜柑のような甘い匂い。ちょこんと重なる影。誰だろうと振り返ってみると、そこには少女が立っていた。 茶色の混じったショートカットの黒髪に黒の瞳。とても可愛らしく優しい顔立ち。舞い散る桜のような可憐な儚さを思わせる、守ってあげたくなる少女だ。 だが今の表情は険しい。 「大丈夫ですか!?」 まるで自分のことのように、本気で俺のことを心配してくれている少女に俺は感動していた。あぁ、ようやく純粋な人間に出会えた気がする。 ――少女の瞳が少し潤んでいる。俺は慌てて起き上がった。女の子を泣かせるわけにはいかないからな。 「大丈夫。心配してくれてありがと」 少女は まだ中学生ぐらいの少女は、まだケンカしている二人に向かって唇を開いた。 「お母さんも結命ちゃんもケンカはやめて!」 少女の 「あ、叶恵だ。おかえりー。今日は早かったのね、委員会」 「ごめんねー。またドア蹴破っちゃった♪」 「また、って……。お母さんこれで五回目だよ。しかも人を巻き込んじゃうし……」 「人? ……あ、彼を忘れてたわ」 やっぱり忘れられていた。というか、やはりこの人が管理人なのか。管理するどころか破壊してるじゃないか……。 「酷いですよ、いきなりドアが吹っ飛んでくるんですから」 本当は和歌森の所為だが、もうこの際スルーだ。 「ごめんなさい。でも、大した怪我じゃなくてよかったわ」 アナタはドコを見てそれをイイマスカ? 「紹介が遅れたわね。私は、第七学区学生寮の管理人を任されている神崎月海よ」 「わたしは 美人の管理人に、可愛い後輩か。外見だけみればこの寮は随分穏やかだぞ。……一人を除けば。 「ちょっと。何考えてるのか顔に出てるんだけど……!」 和歌森がキッと俺を見た。ヤバ、そんなに分かりやすいか!? 何かを言おうとした和歌森を遮って管理人さんが俺に言う。 「それで、君が今日から下宿する 「ありがとうございます。これからお世話になります。これ、来る途中で買ってきたんですけど、つまらないものですが」 決まり文句で角が折れた菓子折りを渡す。……まぁあんだけ転がってれば箱も潰れるか。 管理人さんは受け取った箱を見て「いやぁーん!」と嬉しそうな声を出した。 「これって四葉屋の高級菓子折りじゃない! いやったー! ありがとう天人君!」 このハシャぎ様を見てると、ガキっぽく見えますよ管理人さん。 「選んだのはあたしだけどねー」 とか和歌森は勝手に菓子折りから一つ菓子を取り出して ムリヤリ高いもの買わせたくせに何言ってんだ。払ったのは俺だっつの。……それは当たり前だが。 「? ……そういえば何で結命ちゃんと三上さんが一緒だったんですか?」 うーん、この娘の考える仕草は可愛いな。 「四葉屋で会ったの。で、町案内頼まれたから荷物持ちやらせて現在に至るってわけ」 とても簡潔だな。俺の苦労話を聞かせてやりたいよ。 「ほほぅ、三上君もやるねぇ。初対面の女の子に案内を頼むなんて。まあ積極的なこと!」 イカン、管理人さんは和歌森の 「そんなんじゃないですよ。ただ――」 ――ただ……なんだったんだろう。どうして俺は、和歌森に案内を頼んだんだろう。自分でもその理由が分からない。 「ま、若さってやつねぇ。はい、これ」 月海さんは微笑んで鍵を俺に手渡した。キーのタグには、303という数字が刻まれていた。 「荷物が大体整理できたら管理人室に寄ってちょうだい。ちょっと話したいことがあるから」 「? 分かりました」 それだけ言うと月海さんは、自分で破壊したドアを乱暴に持ち上げ玄関に戻ると、乱暴にドアを嵌めた。ガギン、と金属が擦れ合う嫌な音だけが響いた。 「それじゃあ、私も部屋に戻るから」 和歌森はエレベーターへと向かっていく。ふぅ、せいせいするね。ようやくうるさい女から開放される。思えばずっと主導権を握られっぱなしだった。今度会ったら覚えてろよ。 「あ、わたしは三上さんの手伝いをします。どうせ晩まで暇ですから」 叶恵ちゃんは和歌森に軽く手を振るとこちらに来た。エレベーターのドアが閉まる瞬間、和歌森が「物好きな子ねー」と呟いていたのは聞こえなかったことにしておこう。 「ありがとう。出会い頭に手伝ってもらうのは情けないけど、部屋の間取りとか分からないから助かるよ」 「いえ、わたしが好きでやっていることですから。気にしないでくださいね」 ヤヴァイ、眩暈を覚えるほど可愛い。こんなにも純粋な子がいるんだから、学生寮の生活もマイナスばかりではないな。 エレベーターのボタンを押して中へ入る。先に入って『開く』ボタンを押していると、叶恵ちゃんが唐突に言った。 「あの、昔どこかで会ったことありますか?」 ――本日二回目である。流行ってるのか、この文句は。 「いや、初めましてだと思うよ」 和歌森にも言ったセリフだ。記憶をどれだけ振り返っても、やはり叶恵ちゃんも和歌森も浮かんでこない。やはり、人違いじゃないのか? 「そう、ですか……」 残念そうに彼女は言って、エレベーターに乗った。……思い当たるフシでもあるのだろうか? この寮に来てからの早速の疑問に、俺は『閉める』ボタンを押すのを忘れていた。 『ドアが閉まります』という無感情の機械的な音声が、 同日 某時刻 第七学区学生寮303号室 303号室。『三上天人』と表札が掛けられていた。シリンダーキーはすんなり錠に差し込まれ、カシャンと錠が回った。 玄関を開ける。靴を脱いで部屋に入ると……なんだこりゃって光景が広がっていた。 つまるところ、学生の寮暮らしにコレは豪華すぎる。 3LDK。玄関入ってすぐ廊下があり、生徒の部屋になる五帖の洋室が左右に一部屋ずつある。うわ、クローゼットまで。収納には困らなそうだ。廊下を進んだ右側には洗濯機設置済みの洗面所とバスルーム。左側にはトイレと三帖のキッチン。うおぅ、キッチンは収納スペースが広いシステムキッチン!? しかも冷蔵庫完備。金掛かってるなぁ。更に廊下を進むと、八帖のリビングダイニング。あー、これきっと床暖房だ。金掛かってるなぁ。照明も光度調節型か。……金掛かってるなぁ。そしてLDの隣、襖で仕切られた空間は五帖の畳部屋。何を思ったのかお茶道具一式まで揃えられてる。…………金、掛かってるなぁ。 「なんだかここに住むことが罪に思えてきたよ……」 「……? どうしてですか?」 「いや、まぁ。なんとなく……」 LDに運ばれていたダンボールのガムテープを剥がしながら、俺と叶恵ちゃんは寮の豪華さについてあれこれ言っていた。 ……なんか落ち着かないな。 「ねぇ、えっと……神崎ちゃん?」 「叶恵でいいですよ、三上さん」 「それじゃあ俺も天人で。堅っ苦しいの苦手なんだよね俺」 心の中じゃ、和歌森結命だけ和歌森だけどな。……あいつはどうも、気軽に呼べない。 「それじゃ改めて聞くけど、叶恵ちゃん」 「はい、天人先輩」 「どうして二人部屋なのに、表札には俺の名前しか無かったのかな?」 おかしいと思っていた。運ばれてる荷物は俺のだけ。先に誰かが住んでいたような形跡ゼロ。それに時期を考えると、どうして俺が三階なんだ? もっと入居者がいると思っていたんだが。 「えぇと、……それはそのぅ」 ん? なんか答えにくそうだな。マズイこと聞いたか? 「ちょっとわたしには分からないので、あとでお母さんに聞いていただけますか?」 そりゃそうか。管理人さんの娘さんだからって、学園の内事情に詳しいわけないか。 「うん、分かった。ごめんね、困らせちゃったかな?」 なんか俺、気持ち悪いな。普段こんな口調で喋らないってのに。 「いえ、こちらこそ。お役に立てなくて申し訳ありません」 ……こんな調子で続いたら延々とお互いに謝罪しそうなので、ここで切っとくか。 「それじゃあまずは『生活用品』って書かれているダンボールにから食器を出してくれないかな?」 「はい、分かりました」 叶恵ちゃんの笑顔と共に、作業を再開した。 一時間後。台所に食器を運び、衣服をある程度自室のタンスに突っ込み、制服をハンガーに掛け、ベッドを組み立てた。自室は今はこれでいいだろう。あとは夜にリビングを整えるとするか。叶恵ちゃんの協力もあって、早く終わった。今度何かお礼しなきゃな。 「叶恵ちゃんのおかげで早く終わったよ、ありがとう。それじゃあ管理人さんの所に行くから」 「はい、それじゃあわたしも行きますね」 二人して玄関を出る。……なんか、こういうのも良いなとか思ってしまった。 同日 午後五時二十三分 第七区学生寮管理室 「むもぁ、もむまめまぐ」 「お願いですから飲み込んでから喋ってください」 管理室に入ると月海さんが高級菓子折りを口に頬張ってた。よほど好きなんですね。……なんか共感できそうな部分が見えた気がする。 お茶を口に運んで、ゴックンという音を鳴らし。 「とりあえず、座って頂戴」 指示された通り、ファミリーテーブルのイスに座る。叶恵ちゃんと月海さんに向き合う俺。なにやら緊張してきた。 「どう、部屋に入った感想は?」 「とんでもないですね。すごい豪華で。一人で住むには贅沢すぎますよ」 率直な意見を言わせて貰った。気になる事が山積みだからな。 「話っていうのは、それのこと。この寮はね、今年完成したばかりの新しい寮なのよ。学園長の指示で、急に第七学区を造ることになってね。この寮も急製造なの。しかも、なぜかこの寮は最新の科学技術を備えてるから他の寮よりも少し家賃が高いのよ。今年この寮に下宿する予定の学生は五十人未満。この寮のキャパシティは百人。半分以上も部屋が余っちゃったから、今の部屋割りになったわけ。 この寮に人が少ない理由は大きく分けて二つ。一つ、家賃が高い。二つ、今年は合格者が地元の子達が多かったため下宿希望者が少なかった。ということで、しばらくは一人暮らしをしてもらうことになるわ。三上君の寮生申し込みが一番最後だったから」 なるほど、な。これで納得がい――ってない。 「それは分かりましたけど、なんで男女共同の寮なんですか? 普通は男女別じゃないですか?」 「それは、ウチの校風かな。何より生徒の自由と青春を尊重する、っていうのがあるのよ」 なんだそれ。いいのか指導者の立場として……。不純異性交遊とかあったらどーすんだ。 「それじゃあ、パンフレットより細かいことを話すわね。 今年で開校九十六年目。木造から鉄筋コンクリート造になったのが八年前。その改修工事から学園内に様々な施設を設立し、今では最新の科学技術を取り入れてたりしてる。 全校生徒は千人を越え、教職員は百人以上。そして学生を迎える寮が各学区に一つずつ。一つの寮に百人の生徒が住めるようになってるわ。管理者は教員から抜擢、『保護者の大切なお子様に安全な生活』が約束される。 自室のキーロックはシリンダータイプ。エントランスとエレベーターと階段は、学生証に内蔵されているICチップを使って非接触で錠を開けることができるわ。これはコピー防止も兼ねているのよ」 今更認識を改めるのは遅いが、本当にスゴイとこだな。 「でも、あんな広い部屋に一人ですか。かえって落ち着かないんですけど」 「そう? じゃあ叶恵と一緒に暮らす?」 「えぇぇええ!? ちょ、ちょっとお母さん! 何勝手なこと言ってるの!」 急に話題を振られて、それまで会話を見守っていた叶恵ちゃんが真っ赤になって驚いていた。 「いいじゃない。叶恵もここで暮らすより、よっぽど実のある生活が出来ると思うけど? 若い男女が一緒に暮らすって、青春じゃない〜♪」 ニヤニヤ笑いながら月海さんは叶恵ちゃんで遊んでいる。すんごい意地悪な顔で。まったく、年頃の娘さんを男と同棲させようだなんて何を考えてるんだこの管理人は。……いや、期待なんてしてないぞ? 「もうお母さん、いい加減にしないと怒るからね!」 「わ〜、叶恵が怒った〜怖いよ〜」 どっちが母親か分からないなコレじゃ。つい声に出して笑ってしまった。 「……何かおかしかったかなぁ?」 「いえ、仲良いんですね二人とも」 なんていうのか、こういうの良いよなぁ。ちょっと 「さて、ちょっと脱線しちゃったけど、そういうことよ。変わってる学校だから、すぐに転校生の一人や二人やってくるわ。その時はルームメイトとしてよろしくしてあげてね。それじゃあ今から晩御飯の準備するから待っててね」 「え、いや俺は別に――」 「先輩、遠慮はダメですよ。先輩の部屋冷蔵庫空っぽだし、今から買いに行ったら戻ってくるまでにお腹空いちゃいますよ。それに、新入居者とご飯を一度は一緒に食べるのがわたし達のルールなんです。ねっ、お母さん」 「その通りよ、我が娘」 ……まったく、この人達は。お人好しなんだから。 でも悪い気はしない。なんだか、家族と同じように見てくれてるような気がして、心が穏やかだ。よし、ここはお言葉に甘えて―― 「月海ィ! ご飯できたっ?!」 ガッシャン、とドアを外して部屋に入ってきたのは和歌森結命だった。……穏やかな雰囲気ブチ壊しだ。 「今温めてるから座ってなさい。……そろそろ自炊してくれると嬉しいんだけどね、結命」 「えー、だって料理めんどくさいもん」 「女の子が言うセリフじゃないよ結命ちゃん……」 机に突っ伏して、頬を膨らませている和歌森を叶恵ちゃんが宥める。どっちが先輩なんだよとツッコミたくなったが、まだ俺は和歌森より弱い。……黙ってたほうが身のためだ。うん、決して負け惜しみなんかじゃないぞ、うん。 それにしても良い事を聞いた。和歌森は料理が苦手なんだな。……ふっふっふ。これは今後が楽しみだな。 「……顔がニヤけてるけどどうかした?」 和歌森が怪訝な顔で見てきた。おっと、いかんいかん。顔に出てたか。 「いやぁ、月海さんの料理楽しみだなぁって」 「月海の料理は本人のイメージに合わないぐらい美味しいわよ! ねっ、叶恵?」 「えっ!? あー、えっとぅ――」 「結命! アンタはカレーのルーだけよ!」 「なっ!?」 和歌森がとてもスゴイ顔をした。モナリザかお前は。 「すいませんごめんなさい冗談ですから許してください月海様!」 こんな調子で、月海さん特製シーフードカレーをご馳走になった俺は片づけを手伝ってから自室に戻った。和歌森は食うだけ食って帰っちまうし。 ……なんか慣れた感じだったけど、何時からこの寮に住んでいるんだろうか? 明日聞いてみるか。ちなみに叶恵ちゃんは管理室で月海さんと一緒に暮らしている。中学生の一人暮らしは危険だからな。月海さんも母親として心配なのだろう。……なんか色々訳ありっぽいけどな。 「ま、焦らずに行くか。まだ始まったばかりだ」 誰も居ないエレベーターの中で、俺は一人呟いた。 ある目的を胸に秘めながら。 |