Chapter-2<珈琲の迷い香>

BACK TOP  NEXT



 四月二日 午後十二時三十分 水無川学園実習棟四階廊下

 始業式の翌日。晴れ渡った空の蒼が、校舎の白い壁に反射している。実習棟廊下の窓から風景を眺めていると、下校する生徒達の姿が見えた。その中には和歌森(わかもり)小枝倉(さえくら)阿宮(あみや)室生(むろう)の姿が見える。
 昨日報道された天浮橋町(あめのうきはしちょう)の殺人事件は、朝のSHRで白樺(しらかば)先生が話された。生徒の安全を考慮した結果、本日は午前授業となり集団下校が義務付けられた。
 さて、ではなぜ俺は此処に残っているのか。
 両親はこの学園の卒業生だったから、何か手がかりが見つかるかもしれない。っていう薄い希望に(すが)った結果だ。さすがに当時の両親を知る関係者は残っていないだろうが、なんせ創設九十六年の学校だ。卒業生のアルバムや名簿、創設からの歴史が保管してあるだろう。場所は先生に聞いたほうが早いのだろうが、他人には俺がやろうとしていることは知られたくなかった。わざわざ集団下校を抜け出して此処に居るわけだし。一度出席を確認されてしまえば、しばらくはバレないだろう……って簡単に考えてたけど、きっと寮には連絡が行くだろうな。月海さん怒ると怖いぜぇ……。
「しかし、広い学校だな……。全部の部屋回れっかな」
 俺が居るのは移動授業で使う四階建ての実習棟だ。パソコン室や音楽室、美術室。準備室やゼミ室は数が多い。アルファベットのH型の校舎全体から見れば、左に位置する棟だ。ちなみに真ん中は教室棟、右が研究棟となっている。グラウンドやテニスコート、部室棟も合わせれば規模がデカすぎて嫌になってくるな……。
 とにかく、校舎の隅々を調べるつもりだ。
「うっし、んじゃまずは奥の部屋から」
 と、廊下の角を曲がった瞬間。
「げふっ」
「わっ」
 誰かの頭が胸にめり込むぐらいの勢いでぶつかって来た。そうとう急いでいたのか、勢いは消えずにそのまま俺に覆いかぶさって倒れ込んだ。後頭部を床に強打して、意識が一瞬吹っ飛んだ。
 いってぇええええええええええええ! くそッ、誰だよこんな時に!?
「痛ぅ……。ごめん、大丈夫?」
「ったく、気をつけ――」
 俺を押し倒す形で見下ろす奴を睨みつけ、そのまま俺は言葉を失った。綺麗な顔をした、頭にニット帽を被った奴が無表情で俺の瞳を見つめていた。よく見ると制服ではなく、ジーンズにパーカーだった。私服の人間がなぜこんなところに? という疑問は、不釣合いな美しさと突然の寒気に忘れさせられてしまった。蛇に睨まれた蛙っつーのか。得体の知れない瞳で俺を見てくるソイツに顔を引きつらせていると、ゆっくりとソイツは立ち上がった。
「キミ、僕とどこかで会ったことない?」
「ない」
 ……もう慣れたよ、この文句は。
「そう、僕の勘違いか。気にしないでくれ」
「ああ、気にしない」
 立ち上がり、埃を払いながら俺は歩き出した。出鼻を挫かれた気分だぜ。溜息。
「あぁ、キミ。ちょっと待って」
「なんだよ、俺急いでるんだけど」
 振り向くと、またさっきの瞳が俺を見つめる。冷たさしか感じない、心の底から凍てついてるような存在感が俺を圧倒する。

「あまり首を突っ込まないほうがいい。キミがキミの舞台に存在する限り(・・・・・・・・・・・・・・・)ね」

「どういう――」
 どういうことだ? と聞こうとした瞬間。そいつは開いてる窓から、一寸の躊躇も無しに飛び降りた!
「おっ、おい!」
 慌てて窓から顔を出して下を見る。此処は四階だぞ! 死ぬって、絶対死ぬって! って、あれ? あいつが落ちたと思われる場所には、何も転がっていなかった。叩きつけられる音も、聞こえなかった。
 ――まさか着地したっていうのか? バカな……。
「ちょっと君」
「そぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおいっ!?」
 突然肩を掴まれて変な声出しちまった。ビックリして振り返ると、白衣に身を包んだ、くすんだ黄緑色の髪をした片眼鏡と鎖付き十字架のピアスが特徴の青年が居た。
「あぁ、すいません。驚かせてしまいましたね。私は太刀川月華(たちかわげっか)。こう見えてもこの学園の化学教諭です」
「あ、……あぁそうなんですか。ビックリしましたよ、えっと……太刀川先生」
「本当にすいません。それより、こっちに人が来ませんでしたか? ニット帽を被った十五歳ぐらいの」
「あぁ、ソイツなら……えっと、廊下走ってどっか行っちゃいましたよ」
 とても飛び降りたなんて言えない。変な目で見られること間違いなし。
「ッ――そうですか、ありがとうございます」
 なんか軽く舌打ちが聴こえたんだが、気のせいだろう。
「それじゃあ、すいません。俺――」

「どこに行くんですか、三上天人君?」

 ドクン、と心臓が跳ね上がった。初対面だし、俺は名乗ってなんかいない……! まさか、生徒全員の顔と名前を覚えているというのか……!?
「いけない子ですね、君は。本日は集団下校が義務付けられているはずです。生徒が誰も居なくなったこの学園に、いったい何の用があるんですか? ……まぁ君の考えには興味がありませんので、追求はしませんが。教師も引率で出払っていると思っていたのでしょうが、誤算でしたね。実は私もサボりです」
 サボった(かい)がありました、と先生は笑った。
「先程、第七区学生寮管理者、神崎月海(かんざきつぐみ)から連絡が着ました。君は僕の監視下にいるように。あとで彼女に引き渡すことになりますが、その前に」
 何も言い返せない俺に向かって、満面の笑みを浮かべ太刀川月華は言った。
「コーヒー、好きですか?」
 早速企みを潰された俺は、頷くしかなかった。チクショウめ、なんでこんなにタイミングが悪いんだよ。神様のバカヤロー。


 同日 午前十二時四十分 水無川学園実習棟四階化学準備室

 結局言われるがまま着いてきてしまった。
 保健室とは違い、刺激が強い臭いが立ち込める部屋。化学薬品が並ぶ棚の前で俺は溜息。後ろでは、ガスバーナーの火をフラスコに当ててコーヒーを淹れている太刀川月華。試験管にはミルクとかガムシロップか? 机に並べてある薬さじの横の瓶には砂糖が入っているようだ。この先生は準備室の物を私物化してるのか……?
「そんなところに立ってないで、座ったらどうですか?」
 (うなが)され、大人しく座る。……この人は別に怒っているようでも、俺を見張ることに務めているわけでもなさそうだ。ただ状況を楽しんでいるとういうか、単純にお茶の相手がいることが嬉しいようだ。
「私、コーヒー淹れるの自信あるんですよ。ささっ、温かいうちにどうぞ」
「……いただきます」
 ビーカーに入れて出された。……なんか茶色い薬品とかじゃないよなコレ。恐る恐る口に運ぶ。豆の香りと共に、苦味が口に広がる。お、本当に美味しい。
「美味しいです。……でもビーカーだと飲みづらいですね」
「でしょうね」
 とか言って自分はちゃんとカップに入れて飲んでる。……なんかムカツクなこの人。
「で、君は学校に残って何をしていたのかな?」
「それは興味ないってさっき言ってたじゃないですか」
「ほら、私達何にも繋がりがないでしょう? だから今の段階でも話せるような話題を」
 サファイアブルーの瞳が、俺を見つめる。その視線がなぜか、俺の口から、真実を語らせようとして、俺が耐えられずに声を発しようとしたその時。
「三上天人ッ!」
 凄まじい怒号が準備室を震わせた。ビックゥ! となってイスから落ちると、ドアには。
「おぉ? 月海、早かったですね」
 なんかすごい怖い顔した月海さんがいた。
「もちろんよ、このお馬鹿な子供にお仕置きしなきゃね!」
 気合充分!? しかもその手に握ってるバッドはなんですかー!?
「ほぅら、三上君。帰るわよ」
 帰るわよの言い方が怖すぎます……。
「太刀川先生、コーヒー、ご馳走様でした……」
「また寄ってくださいねー」
 笑顔で手を振る太刀川先生を見、鬼のような形相の月海さんを見、溜息をついた。
 ……とりあえず、なんて言い訳しようか。それだけ考えておこう。


 同日 某時 水無川学園実習棟四階化学準備室 Other Cast

 嵐のように過ぎ去った一時を思い出し笑いしながら、太刀川月華は回転イスを回して振り返った。
「それで、いかがでしたか彼は」
「警戒心の塊のような奴じゃの。あとその気持ち悪い笑みを消せ、月華」
 何時からそこにいたのか。幼女のような体型をした学園理事長、霧裂赤夜が容姿に似合わない厳しい表情で言った。今はオーダーメイドのスーツではなく、ゴシックロリータを着ている。
「そんなに気持ち悪いですか? 友人には笑顔がステキだと言われるのですがね……。それはどうでもいいですか、そうですか」
 わざとらしく話題を切り上げると月華は本来の顔≠ノ戻り、耳のピアスを弄りながら本題に入った。
「やはり彼が持っていますね。今まで発見されなかっただけ幸運というものです。やはり効力を失っているのでしょうか?」
「であろうな。あの腐肉どもが放っておくとは思えん。……だが、ひき肉なことにこの町に来てしまった以上、運命は曲げられない故、三上天人は辛い思いをさせるじゃろうな」
「皮肉です、理事長。しかし、私達は立場上、……終わってから始まるまでは干渉できませんからね。それは、彼次第ということで」
 重要性のある結果がない馬鹿げた話をしているというのに、なぜここまでこの男は笑えるのかと霧裂赤夜は(はらわた)が煮えくり返ったが、そこは我慢した。
「……死体と腐肉が増えてもか? 最近町を騒がせておる幼稚な殺人も一枚噛んでおるのだろう。いい加減に、(わらわ)は子守に飽きたのじゃ。たまには処理させてくれんかのぅ」
「ダメですよ。私たちは一度そういう契約をしているので。舞台を履き違えないでくださいね」
 ぶーっ、と膨れ顔になる赤夜は確かに幼女のようだが、冷やかすと寝首を掻かれないとも限らないので出来る限り我慢しようと太刀川月華は思った。
 
 この二人の会話は二人にしか分からない。だから誰に聞かれても構わない。
 なぜなら、それはこちらの舞台では意味を成さないからだ。
 こうして、ただの日常は進んでいく。大きな忘れ物をワザと見落としながら。

「ところで、コーヒー飲みますか?」
「妾は紅茶派じゃ」
 太刀川月華は残念そうに肩をすくめると、ティーポッドを取り出した。


 同日 午後二時半 第七学区学生寮303号室 三上天人

 月海さんにこってり絞られた後、俺は部屋の掃除をしていた。何を今更かと思われるかもしれないが、他にやることがないのだ。情報を収集しようにも、学園ではコーヒー飲んだだけで何も進展しちゃいない。自分の頭の悪さに頭痛を覚えるが、今は箒でド突かれた節々が痛む。掃除するだけでも、ビリビリくる。……言葉に出来ないなこの痛みは。箒の掃く方で叩くんだもの、チクチクするっての。
 ピンポーン。チャイムが鳴る。
「……叶恵ちゃんだといいけど」
 ちょっと期待してドアノブを回してみた。まぁ目の前に居たのは和歌森なんだけど。
「人の顔見て嫌な顔するのやめてくれる?」
「悪いな、俺は生まれつきこういう顔だ」
 一週間以上顔を合わせているが、どうもまだ慣れないコイツとの会談。
「んで、何のようだ? 今日は俺が食事当番じゃないだろ?」
 あの鍋を作った日から、たまに叶恵ちゃん・月海さん・和歌森・小枝倉と俺含め五人で料理をすることが多くなった。俺は一人で飯を食べるのは寂しいから大歓迎なワケなんだが、和歌森と小枝倉は自炊が出来ない者同士が相部屋という他力本願っぷりを発揮してあやかってるだけだ。だから俺もたまに料理を手伝いに行ったりしていると。……これじゃ草伽家に居た頃と変わらない。
「美咲見なかった? 集団下校のあとちょっくら買い物ーとか言ってから帰ってきてないのよ」
「携帯は?」
「私は機械苦手なの。あと機械が発する電波みたいなのもキライだから持ってない。」
 ……そういえばコイツは現代人のくせに機械との相性が最悪だったな。いまどき携帯を持ってない高校生ってどうよ? 小学生だって持ってるぜ。
「ったく、分かった。俺が電話してみるから中入って待ってろ」
 和歌森をリビングに招く。早速ソファーでくつろぎ始めた。図々しいったらない。俺は携帯を取り出して、最近登録したばかりの番号を呼び出す。
 なんというかやはり寮としてのシステムが甘いんじゃないだろうか。男女が普通に出歩ける寮って多分世界中探しても此処だけだ。抜け出して密会! とかドラマチックなことは何もなく、呼び鈴一つで事が終わる。……だがコール音だけは一向に終わらない。
「……おかしいな。小枝倉、携帯出ないぞ」
「あれ? おっかしいなぁ。携帯はスカートに入れてるから、いつもなら一発で気付くのに……」

 この時の俺は、
 ――顔を切裂かれた女性の遺体が発見されました。
 もしかしたらこの状況で考えられる、
 ――被害者は天浮橋町の印刷会社に勤務していた二十代の女性ということが判明。
 最も最悪なことを、
 ――犯人の行方はまだ分かっていません。
 想像してしまったのかもしれない。

「うっ」
 急速に喉が渇いていく。俺の思考が何か最悪な終末をイメージしてしまった。俺の知らない過去とその映像が結びつき、強烈な吐き気を覚えたが、腹に力を入れて奥歯を噛み締める。
 それは幻想で、今見るべきは現実だけだ。
「……三上?」
 怪訝(けげん)そうな和歌森の声で我に返る。思考中止。とにかく今は行動あるのみだ。
「小枝倉を探しに行くぞ。お前はアイツがよく行きそうな店をあたってくれ。俺は昨日行った喫茶店デトックスまでのルートを辿(たど)ってみる」
 ぺいっ、と和歌森を玄関に押し出すとそのまま施錠(ロック)。一気にエレベーター横の階段を降りる。
「ちょっと三上! どうしたのよ突然血相変えて!? さっき月海に外出禁止くらったばかりでしょうがっ!」
「そんなこと知るか、緊急事態だ!」
 変だと思ってた。顔面を切り裂く事件、しかも女性限定だ。犯人は複数犯とも言われているし、そもそも顔を切り裂くという殺害方法だけが共通していて、被害者の共通点は一切無し。ただの無差別殺人なのだ。
 その切り裂きジャックは、間違いなくこの町に潜伏しているというのに!

 胸が急激に熱くなるのを感じながら、俺と和歌森は第四学区の方角を目指した。


BACK TOP  NEXT